3-2 Run,Run,Run

「いっけー! マックスブレイカーゼットツー!!」

 豪樹は今日も走っていた。ミニ四駆と共に。けれど、なんだか感覚が違う。違和感に振り向くと、いつもは並走してくるはずの蛍がぼうっと立ち呆けていた。

「……」
「ん、どうした? 蛍、元気ないなー」

 思わず豪樹は愛機を止めて蛍に話しかけた。彼女が共に走ってくれないとこの調整は意味がない。今や計測の殆どを彼女に任せているのだから。

「……時間が、あと少し。あまり話していなかったが、我々が戦う時間がもうすぐくるんだ豪樹」
「え、時間? 大会まではもう少し時間あるぞ? チューニングがんばろーぜ!」
「違うんだ! 違うんだ……」
「な、なんだ、これは!? 頭の中がぐるぐるぐるぐるーーーー」

 以前にも一度見せられていた映像だった。豪樹はそれをレースで負けると起こってしまう災厄だと思っていたが、それは違ったのだろうか。

「本当は、すぐにでも。この危機を伝えるべきだった。蛍は失敗した」
「危機? 大会で負けると世界はこんなんなっちゃうのか!? それは困るぞ!」
「あまりにも、ここへ来てからの日々が楽しかったんだ。もしかしたらこの日、あの時間が来ても、何も起こらずにこのまま同じように日々を過ごせるのではないかと」

 いつもは完璧だと自負し続ける蛍が弱気になる理由を、豪樹は見いだせずにいた。楽しかったなら続ければいいじゃないか。はじめに会った時、レースの楽しさを知らなかった蛍に豪樹はそれを教えた。
 そんな悲痛な顔で走り出すなんて、それはレーサーにあってはならないことだ。

「でも、どうやら違うらしい。駄目なんだ。やっぱり」
「駄目なのか、よくわからないけど駄目なのか!? あの時間ってなんなんだ!?」
「蛍は警告する。もうすぐ破滅がやってくる。危険はすぐそこまで迫っている。」
「んんん? オレはどーすりゃいいんだ!? とにかく勝てばいいのか?」
「……そう、お前が私の手を取り戦ってくれるなら」

 豪樹にはわからないことだらけだった。けれど、わかることだってある。それはレースは勝つために挑むものだということだ。勝てば楽しい。負けると悔しい。
 蛍が勝たなければならないというのだったら、豪樹はすべてを投げ出してその手を取ろうと決めた。それがパートナーというものだからだ。

「わかったぞ! よくわからないけど、わかったぞ! 恥ずかしいけどオレ、オマエの手をとって頑張るから!」
「戦わなければいけないのに平和に過ごすお前を、危険に巻き込むことをあまり考えたくない。蛍は混乱している。」
「豪樹も混乱している! でも蛍、オマエ優しいなっ」
「……蛍は不器用だから。どうしてもこの時間まで上手く言葉が出なかった。」
「キニスンナ、蛍。誰だって言いにくい事はあるさ。で、オレはどーすりゃいいの?」
「――――私と、未来を救って」
「よくわかんねーけど、オレ、蛍のために全力全開でいくぜ!!!」

3-3 夕焼け色の魔法使い

3-1 祭り囃子鳴り止まず

第三章 終末の日のすごしかた

 陽は既に落ちて。祭りの夜は幕を開ける。家々から立ち上る夕食の香りも、今日ばかりは出店の喧騒に取って代わられている。
 正晴は静とともに海へと向かう道程を歩いていた。手が触れ合う距離、けれど触れることはなく、いつものように静に先導されて、夜道を歩く。

「そんなに急がなくてもいいんじゃないか? 花火まであと一時間はあるぞ」
「人の時間は有限なのよ。さあ、あなたのお勧めはどこなのかしら?」

 静はにっこり笑って正晴を上目遣いで見つめる。時間がないことは正晴にもなんとなくわかっていた。だからこそ静はこんなに急ごうとするのだと。
 静はいつも急ぎ足だ。それは生き急いでいると言うよりも、なお悪い連想をさせて正晴の気分は重くなる。

「お前も知ってるだろ、毎年行ってるんだし……いや違った、そうじゃなかったな」

 今でも、ふとしたときに静が本当に幼馴染だったかのように感じることがある。それは彼女によって書き加えられた「設定」であるのに、ついそれに甘えてしまいそうになるのだ。
 実際のところ彼女はこの街についてどれだけのことを知っているのだろう、と思うと不意に申し訳無さに襲われる。彼女は、実際にはそうではなかった十七年をそうであるかのようにして、この街を守るために戦うのだと。

「そうだな、そうだ。よし、案内してやる。実はな、いつもの海岸より少し手前にビルがあって、この時期だけは管理人がこっそり開けておいてくれるんだよ。ほら、そっちだ」

 と、今度は静に入れ替わるようにして正晴が先に立ち、彼女と足取りを合わせるようにその手のひらを取った。静の体温を間近に感じる。今夜ばかりは周囲の視線も気にすることはない。

「ちょ、ちょっと正晴、早いわよ」
「なんだ、自分から握られるのは恥ずかしいのか? 誰も見てないって」

 普段はあれだけ積極的で、NDエレメントを散布してでも引っ張っていく静の一面に、思わず微笑む。周囲には人も多く、みんながそれぞれ自分たちの足取りに必死だというのに。
 横笛と太鼓の音が遠く響く。人波を縫うように二人は一つになって進む。歩みを進めるにつれ、ぽつりぽつりと静は語りだした。

「ホントはね、この町の事はそれなりに調査して着任したわ。でもワタシが知っている事と、あなたが過ごした 十七年間は重さが違う」

 そんなことはないと言ってやりたかった。けれど、本物であることにこだわる彼女にとって知識と体験は大きく違うのだろう。

「だからもしも、あなたがこの街を守ると言っているワタシに何か想うところがあったとしても、それは気にする事じゃない」
「いや、これは俺の問題なんだ。君にこれまで引っ張られっぱなしだった俺の、贖罪なんだよ」

 だから、代わりに正晴は自分の思ったことを口にする。この思いは本物だ。それが静に向き合うことなのだと、正晴はもう知っていた。

「一番高いところに登ろう。それが一番良く見える。花火も、人も」

 彼女は見なければならないと思った。空や海に負けないくらいの人の営為を。まだまだ足りないのかも知れないけれど、一つ一つ説明して回っている時間は始めからなかった。

「今日、なんだろ? 最後くらいカッコつけさせてくれ。……ええとつまり、君に見せたいんだよ。俺が」
「え? 最後ってなによ。この戦いの後も二人とも生きていくのよ。しっかりしてよ正晴」
「ごまかさなくていい。俺なりに、考えたんだよ」

 街角で足を止めて、静に向き直る。目的のビルはもうすぐそこだ。だから、ここではっきりさせておく必要があった。

「君は嘘をつく時、NDエレメントに頼るね。思えば最初から、そうだった」

 そう正晴が言った瞬間、二人は星屑と見まがうような美しい花火が飛び交う夜空へ投げ出される。それはあまりにも美しくて、もしかしたら屋上から見る花火なんてくすんでしまうかもしれないものだったけれど。

「そうね『最後』と言ってしまえば、それはホントに最後になってしまうかもしれない。でもそんなのワタシ達の考え方次第じゃないかしら。家族や愛おしい人、人それぞれに大切な人はいっぱいいるわ。そして、いつかその人たちとの別れはやってくる。でも、別れたあと、その人たちはワタシ達の心の中からも消えてしまうの?」
「そうだな。君はいつだってまっすぐで、正しい。だからこの夜空はしまっておいてくれないか」

 足元もおぼつかない静かな空間に取り残されても、もう正晴は平然と振る舞っていた。内心足が震えるほど恐ろしくても、今晩静が正晴たちのためにどれだけ傷つくかを思えば、それがなんだろう。

「終わりじゃなくて始まりなんだ。だから俺達は今日の夜空を、喧騒を、花火を、見に行くんだ。そうだろ?」

 なんのために、とは口に出さない。正晴はただ静の手を握って、景色がもとに戻るのをじっと待った。少しすると、二人が見る風景は夜空から入ろうとしていたビルの前へと戻る。
 正晴は視界が戻ったのを確認すると、静の手を引いてビルの裏口のドアを開けた。少し埃じみた通路を抜けて、コンクリートの階段に足をかける。
 外からは祭囃しが聞こえ続けている。カツン、カツンと階段を登る二人の足音だけが反響して、踏みしめるようだった足取りはいつしか軽く、走るように、踊るように変わっていく。

「静。あんまりきれいじゃないかもしれないけれど、これがこの町だ。この世界だ。覚えて、いてほしいんだ。君にすべてを託す。俺一人の力しかないけれど、それはこの町の17年を継いだすべてだ。負けても、誰も怒らない。だから」

 屋上のドアを開け放つ。雲一つない夜空には月がのぼり、打ち上がった花火の残滓が見える。火薬の匂い、そして音がそれに遅れてやってくる。

「楽しんで、ほしい」

 古ぼけたビルから見上げる初めての花火が静の目に映り込む。静の生まれた時代にはない綺麗な自然、しかしそれだけではなく、この時代を生きる人々たちの活気、想いが正晴の言葉を通して伝わった。そのことが繋いだ手から正晴にもわかる。

「ワタシが生まれた時代の人たちは、優しい人ばかりだったわ。でも日々の戦いに疲れ果てて余裕のない中で心を病んでしまった人が多いのもまた事実だった。ここの人たちはみんな『生きている』って思わせてくれる。人ってホントはこんな事を日々考えている、思っている。多様性のある人々」

 静の声は花火の大音量の下でも正晴の耳にはっきり届いた。最初からそうだ。彼女のその声に、言葉に、正晴はやられてしまっていたのだろう。

「ワタシは『人のキレイな心』を見たいと思っていた。でもそれは間違っていたかもね。NDエレメントで出せる綺麗な景色や造り物の心では代替できない、ここには真実ホントの心を持った人たちがいる、生きている」

 彼女の手が正晴から離れる。切り離された喪失感で、行かないでほしいと手を伸ばそうとして、正晴はそれを押し留めた。

「正晴、この数ヶ月、あなたと過ごしてそれがよくわかったわ。ワタシが護るべき物。未来へ繋げるべき物」
「君の感じたものだけが全てだ。俺の想いはもしかしたらちょっとぶつかるかもしれないけど、持っていってくれ――もう、時間なんだな」
「そう、時間よ。さあ、行きましょう。世界を切り開く戦いへ!」

 

3-2 Run,Run,Run

2-3 特訓

 一流のレーサーは一流の工房を持つ。蛍が一文字家に来てから、豪樹の部屋は魔改造の果てにプロ顔負けの作業場と化していた。

「豪樹、ミニ四駆の調子はどうだ」
「ほたるこそ、軽量化は進められたか!? 機関銃とか載せると重くなるからやめろよ!」
「任せろ、度重なるレースの経験から都度都度軽量し、空も飛べる仕様になった」
「そ、そら!? いや、たまにそういう必殺技使う奴いるけどよ、あれやるとコースアウト宣言されるからだめだぞ!」
「豪樹がいうのならそうしよう。そうだ、突然だがもうすぐ世界が滅びるんだが」
「せ、せかい? それ、コースが壊れるってことか?困るなあ」
「頭で理解できないなら、みせるべきだ。とマニュアルに書いてあった」

 蛍が指で豪樹を指すと、豪樹の脳には大量の滅びのビジョンが流れ込んだ。それは荒れ果てた都市であり、世界であり、なによりレース場であった。
 蛍はすでに豪樹から世界レースの話を聞いていた。2050年には当然、レースの一切は開催されていない。ドラグブライドとして持つデータベースから引き出された情報の濁流は豪樹をして驚かせるに足るものだった。

「う、うわぁぁぁぁ、なんじゃこりゃー!!!」
「そこで驚くのは想定済みだ。落ち着け、この状況を回避することは可能」
「そ、そうなのか? コースは壊れずにすむのか?」
「そう。お前と私が迫りくる八月の戦いというレースに勝てば。それまでにお前と訓練をしなければならない」
「特訓! オレ、特訓なら大得意だぞ!!」

 胸を張る豪樹。その反応は蛍のデータベースにはないものだ。蛍は脳内の情報に補正をかける。

「お前のその走行、機体に対する熱意。私にはないものだ。私もお前にそれを教わりたい」
「一緒に走るって約束しただろっ、走ろう! 一緒に走ればわかるさっ」
「かわりに私はお前に砲術を、戦術を教えよう。頼むぞ、豪樹」
「おうっ、頼むぜ、ほたる!」

 いい返事だ。蛍はやはりこの少年を選んだ自分の判断が完璧だったと心の内で頷く。ND粒子によりふわりと虚空から紅茶を取り出し、飲み干すと、蛍は立ち上がり歩き出す。

「そうだ、お前には空でのレース経験が足りないな……外に出よう」
「そ、そら? いや、オレ空のレースとかやった事ないんだけど……くそっ、オレたちの旅は涙と道連れだ!」

 二人して一文字家の庭に出る。ミニ四駆用のコースを作り置いてなお余裕のある敷地を確かめるように蛍は何度か土を蹴る。この組成ならば全力でも問題ないだろう。

「手を」と蛍の差し出した手を、豪樹はすぐさまガッチリと握った。
「勇気を!」

 勇気。いい決意だ。握られた手をさらに強く握り返し、蛍は地を蹴る。そして飛び出した無窮の青空を風を切って駆け抜けていく。

「う、うわーーーーーー」
「なんだ、道連れだと空をとぶことを覚悟していたのではないのか」
「空なんて飛べるとは知らなかったんだよ!」
ミニ四駆が空をとぶのと変わらない」
「いや、それはおかしいような気がするけど、なんか燃えてきたぜぇぇぇぇぇ! いっけぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
「身体を慣らそうと思ったんだが……飛ばせばいいんだな。任せろ」

 更に速度を上げる。音の速さすら超えて、真夏の空を駿河市を横切るように飛翔する。

「いっけぇぇっぇ!トリプルマックススォォォォーム! スカイハーーーーイ!!!」

 指示に従い、蛍は高度をあげた。今度は上空に向かって一直線だ。蛍のこころに今までない感情が訪れる。これは……高揚感というものか。

「……豪樹、私はいつまで上に行くべきだろうか? 豪樹?」
「ぐ、ぐるじいぃぃぃ、ぼたるーもういいいいい」

 空気圧には耐えられるようにND粒子は展開していたが、航空に行くに従って粒子自体の濃度が薄くなっていたようだ。蛍自身の身体は何ら問題ないが、豪樹は普通の人間であることを思い出して、
「了解」といきなり全速力での降下に切り替える。計算では10秒もあれば庭に戻れるはずだ。

「ぎゃぁぁぁぁぁぁ! ほたるっ、落ちる落ちる!!!!!」
「安心しろ、蛍は豪樹を落とさない。あ、ミニ四駆が豪樹の服のポケットから落ちそうになっている」
「オレのマックスブレイカーがぁぁぁぁ!!!」
「承知した」

 蛍は自由落下速度に切り替え、マックスブレイカーを両手で拾い上げる。すると必然、

「あれ、オレが落ちてるぅぅぅぅ!!!! ほたるーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
「全く、豪樹は私の許可なく勝手に落ちないでもらいたい」
「オマエが落としたんだろう!!!!!!」
「蛍は完璧だからそんなことしない」

 蛍はそう言って、何事もなかったかのように平然と右手に豪樹、左手にマックスブレイカーに持ち変える。

「今拾った。何の問題もない」
「ほたる、完璧じゃなさすぎぃぃぃぃぃ!!!」
「失礼な。では次は自分で飛べるようになれるように特訓だ。たぶん気合というものがあればなんでもできるらしいので。できるはずだ。豪樹なら」

 蛍に気合というものはない。完璧であるので必要ないのだ。だが、それが役に立つことはデータベースに記載されていた。マックスブレイカーが蛍の砲撃を避けたように。
 豪樹もきっと飛べるだろう、そう感じて蛍は手を離した。

「ちょっと待て。ほたるオマエのレースへの熱意は、あああああああああああああ」
「飛ぶんだーーふぁらうぇーーい」
「やーーめーーーろーーーー!!!」
「あんなに喜んでいる。やはり蛍は完璧」
「とっくんか? これがとっくんなのか!? オレのとっくんが甘かったんだー。ごめんよほたるーーーーーー」
「謝られることはしていないはず……?」

 豪樹が地面に激突する寸前、蛍はその身体を拾い上げる。どうやらまだ訓練が足りないようだ。
 そう思い豪樹の表情を見ると、白目をむいており。蛍は失神とその症状を診断して、家の中に担ぎ戻った。

 

next 第三章 終末の日のすごしかた

3-1 祭り囃子鳴り止まず 

2-2 砂状の楼閣


「ねっ、海いきましょ。海。どうせ暇なんでしょ?」
「わかったよ、海ね、海。好きだよな、静も……なんで海にこだわるんだ?」
「2050年の世界ではずっと地下に暮らしていたの。ここに来た時ホントに感動したわ。山も空も、とっても綺麗。その中でも海は一番綺麗だわ」

 夏休みに入るとにわかに街は活気づいたように静には感じられた。学校も興味深かったが、そこから解放された学生たちの熱量が空気に感染しているようだった。
「広い広い水たまり。知識の中でしか知らなかった海。舐めるとしょっぱいのよね。びっくりしたわ」

 結局静はあれから正晴の家で暮らしていた。双子の妹がいたことにするくらいクラス全員の記憶を改ざんすることに比べれば簡単だったし、睦月家の二階を一区画増設することもそうだ。正晴だけはなんだか嫌そうにしていたが、それが本気の拒絶でないことも指輪から伝わってきていた。
 二人は家を出ると、駿河湾に向けて歩き始める。ここのところ毎日のように通っていたが、それでも海の匂いを感じると静の心ははやる。

「俺にはどっちも見慣れたもんだけど、2050年の人から見ればそんなもんなのかね。俺からしてみれば静の使うND粒子とやらのほうがよっぽど驚きもんだよ」
「ND粒子なんてこんなのまがい物よ。確かに本物そっくりの映像、匂い、感触、それどころか記憶すらも再現できるけど、これは本物じゃない」

 「本物」の潮の香りを胸いっぱいに吸い込んで、砂浜に向かって静は足を速める。後ろを見ずとも正晴がついてきているのがわかって、静は小さく微笑んだ。

「最初に会ったときの幼馴染だと認識させる技、あれこそまさに魔法だと思ったけどね……本物も偽物も、そこでは完全に曖昧で」
「でも、あなたは最後に気づいたじゃない。所詮造り物の記憶。でも本物は人の心を揺り動かす。そう、人に造られしドラグブライドの心もね」
「まあ魔法使いさんが本物だと言うんならこの塩水だって本物なんだろう」

 遅れてやってきた正晴は静を追い越すと、と砂浜の土を軽く足で波打ち際に寄せた。波をせき止める土手のように。それでも波は数度の満ち引きの末に、それを押し流していく。

「そうね、この海の雫は心に打ち寄せてくる波のよう」
「詩人だな。造られたってお前は言うけど、そんなの俺だって同じだろ。人間に造られた人間、違いはドラグブライドかどうかだけ。正味な話、俺なんかよりよっぽど本物なんじゃないか、お前」
「そうね、本物と偽物の違い……それを想う人の心がどれだけ重いのかで決められるのかもしれない」
「2050年の唯我論、ってとこかな。この海はお前が想いを寄せているからこそ鮮明にあり、か」

 正晴はなににこだわっているのだろうか。静にはそれがわからない。ぼんやりと伝わってくる感情は、けれど彼が考えていることをすべて教えてくれるわけではない。それがもどかしくもあり、どこか楽しくもあった。
 静は中腰になって砂を手でいじり始めた。砂を触る時、子供は城を作りたがる。それはなぜだろうと考えて、昨晩思いついた結論が自分でも作ってみることだった。

「2050年の世界、わたしが造られた世界。みんないい人だったけど、必死にわたしを造り出し、一縷の望みをたくしてこの次元に送りだした人たち。でも、わたしは決して望んでこの世界に来たわけじゃない」
「じゃあ何を思ってきたんだ? 救うべき世界を見ることは、やっぱり旅の目的なのか?」
「もちろん、望んできたわけじゃないけど、わたしは自分の使命をわかっているつもりよ。『何故来たのか』は愚問よ。わたしは為すべきことがあるからここへ来た」
「為すべきことを為す、はトートロジーだろ、そこには為したいと思った主体があるはずだ……それが静自身に端を発するものじゃないにしても」
「主体、ね。ドラグブライドのわたしにそんな事を言うの」

 口にしてみて、これは違うなと静は自分が感じたことに気づく。正晴の指摘は正しい。静は望むと望まざるとにかかわらず、この時代に送り込まれた。これは目覚めた時からのさだめで、姉妹として生まれ落ちたことの義務だ。
 けれど、この世界に来たことで感じたものは、生まれた気持ちは静のものだった。だから、思ったことを言葉にする。してみる。これもまた、この世界に来て初めて経験したことだ。

「見る事、海を見る旅……『母なる海』っていう言葉があるみたいだけど、全てを包み込む優しさをこの景色に感じているのかもしれない。この世界の空と海と大地と、学校の人々を見ているうちに、わたしの世界になかったこの綺麗な景色を、2050年の未来、いいえ、もっと先の未来へ受け継がせてあげたいと思った」
「そうか。それならよかった。お前がそう思うのなら、きっとそれは正しい。俺は自信がないから、静のようにあるがままを賛美するなんてできないけど」

 静は少し笑った。パートナーの頼りなさにではない。それを口にする率直さをいいと思った自分に対して。
 静の作り出した城とも言えない砂山に、正晴が手を伸ばした。ためらいがちに整形する手つきは静よりも少しうまい。

「それでも為したい、という気持ちは理解できる」
「わたしは必ずこの世界を未来へ繋げるわ。 ねぇ、アナタは今の世界が当たり前だと思っているかもしれないけど、失った時はもう遅いのよ」
「静は強いな。やっぱり、このお話の主体はお前だ。俺は端役でただの契約者だ――コントラクターというより、コンダクターみたいなものなのかもしれないけどな」

 正晴は手を止めた。まだ不格好なただの砂山なのに、もう満足してしまったようだった。

「俺は失うのが怖い。それは世界じゃなくても同じだ。自分の手から滑り落ちてしまったものに価値があると知ってしまったら、死ぬほど後悔するだろう」
「アナタは何も失わない。アナタは端役なんかじゃない。アナタの想いの強さが鍵となるのよ。そしてわたしは、アナタの心に賭けた。これは絶対に外さない賭け。外せない賭け」
「だからさ、俺は静に協力してる。お前が見つけ、お前が為すんだ。俺はそのための手段を提供できる。一緒に世界を見て回ることができる。けれど、舞台の上には上がれないんだ。上がるのが、怖いんだ」

 静の目の前で、正晴は砂山を蹴り崩した。半ばから割られたそれは、放っておけばすぐにでも海へと還ってしまいそうだ。

「俺の思いが静の力になるというのなら、俺は君のことを精一杯想おう。世界の存続を希おう。恐怖心からくるこの気持ちは、偽物だと思うか?」
「誰しも失うのは怖いわ。でも舞台に上がるのはアナタだけじゃない。わたしもいる。わたしも一緒に舞台へあがるのよ」

 海にさらわれてしまう前に、静はND粒子を解き放った。正晴に蹴り崩されたはずの砂が山になり、そして静の脳内に思い描いたとおりに城になる。
 正晴を真正面から見据えた。そしてこのあつい気持ちが消えてしまう前に、と口に出した。

「一緒に戦って。正晴!」

 正晴はおもむろにポケットから硬化を一枚取り出した。それをあたかも旗のように、砂の城のてっぺんに立てる。

「俺の負けだ、共に戦おう。静の手を取ったときにその覚悟はもう決めてたさ。矢面に立てたかったわけじゃない、ただ……」
「ただ?」

 と、そこまで言った正晴は口をつぐむ。静は城の出来栄えを見た。いい。これなら空にも街にも海にも負けないだろう。
 しばらく待って、正晴が口をつぐんだのを察し「ええ、ありがとう正晴。優しいのね」と静はつぶやく。

「勘違いしないでくれ、俺は静たちに救われるほど高尚なもんじゃないってだけだ。自分で生き延びる分くらい、自分で働かないとな」

「照れないでもいいのよ」静は声に出して笑う。賭けが確信に変わった瞬間だった。

 

2-3 特訓

2-1 ミッドサマー・フライティング

第二章 ただ一度の夏

 夏休み。学生たちは各々の部活動に気炎を上げる中。結女を後ろに載せて、光里の漕ぐ二人乗りの自転車は法定速度を大きく超過しながら流星のように出前を配ってゆく。

「ま、待ってー! お寿司が! お寿司がぁー!!」

 聞けば、結女は部活にも所属していないらしい。結女らしい、ともう一月以上共に暮らしている光里は思う。きっと、普通の学生の求める幸せを甘受することに良心の呵責を覚えたりなどするのだろう。想像だが。
 だから、光里はひたすら自転車を飛ばす。風を置いて。音を置いて。光を置いて。寿司が乾く間など与えるはずもない。

「しっかり捕まっててね! このまま最後の鈴木さんちまでいっくよー!」
「もう!またお寿司が崩れてるーって鈴木のおばちゃんに怒られちゃうじゃない!」
「だいじょうぶだいじょうぶ、寿司桶はちゃーんとNDエレメントで覆ってあるから! 未来技術は2030年の冷蔵庫よりも快適だよ!」
「未来って便利だけど、ちゃんと自転車の速度で走らないと、またお巡りさんにも怒られちゃうんだからね?」
「700日戦争、ってのもいいかもね。結女は心配性だなー、みんな気にしないって言ってるのに」

 NDエレメントは万能だ。ドラグブライドの基礎機能として展開できるそれは、物理法則にとらわれないどころか、人間の記憶や感情までも容易に操作する。一部の例外を除けば、だが。
 まだ日が高いうちに鈴木さんの家まで配り終え、そこでやっと光里は自転車を止めた。結女もほっと一息つく。

「あんまりはしゃがないでよ、今日は団体のお客さんがお店に来るみたいだからひかりちゃんにもお料理とか沢山作るの手伝ってもらわないとなんだし」
「もっちろん! このひかりちゃんに任せなさい!」

 料理、というのも光里は先日はじめて体験した。NDエレメントで再現された食事とおじいちゃんが手で握ったお寿司は雲泥の差で、前々から興味があったのだ。……結果は、散々だったが。
 それからこっそり練習を重ねたので結女にも褒めてもらえる程度には改善した、はずだ。

「あ、帰りは結女が自転車運転する」
「結女はゆっくり走りたがりだな?」と言いつつ、素直に運転席は譲って荷台に横座りをする。ゆっくりと結女が自転車を漕ぎ出すと、さっきまでは遮られていた風の流れを皮膚で感じられる。
「ほほー、こんなふうに見えるんだ、知らなかった」

 荷台から見える景色はペダルを全力で踏み込んでいるときのそれとはまるで違って見えて、光里は結女に捕まる力を思わず少し強くした。自分で動かしてる乗り物よりずっと速いように思う。

「ね、こうやってゆっくり走るのも楽しいでしょ。いろんなお店もあるなーってみえたり、猫がいるなーって挨拶できたり」

 この景色を、きっと結女は守りたいと思ったのだろう。自分には使命しかないけれど、まどろんでいたときに感じた結女の気持ちと似たそれが胸に去来するのを感じた。

「結女は、マイペースで鈍くさいってよく言われるけど、のんびり歩いたり走ったりするのも好き。ひかりちゃんはビューンって飛ぶのも好きそうだけど」

 結女が笑うのを光里は背中から感じた。NDエレメントを使わなくても、背中に掴まっているとそんなこともすぐに分かる。そのことが光里にとっては驚きで、新鮮だった。

「そういえば、ひかりにはおとーさんとかおかーさんとかいる?」
「あたしたちドラグブライドにはね、お父さんもお母さんも、誰もいないの。自分と、きょうだいと。それだけ。すっごく狭いんだよ、基地だってさ。遊び道具だって何もなくて。ただ、教えられてた。地球には昔すごいものがいっぱいあって、すごい人がいっぱいいて」

 自分はいまその時代にいるんだ、と思うと光里の胸は何度でも自然に高鳴る。結女だってすごい。光里にはわからないこともいっぱい知っている。急がないことも、周りを見ることもお、お箸の使い方だって光里に教わった。

「それをあたしたちドラグブライドの手で取り戻すんだ、って使命だけがあってさ、みんなそれを大切にしてるのね」

 姉妹たちのことは好きだった。特に自分を見送ってくれた長姉には感謝もしている。彼女が自分を顧みず送り出してくれなければ、こうして結女と出会うことさえ光里にはできなかった。
 けれど、

「あたし、そんなのは嫌だった。ごめんね、実はさ、結女が昔あった災害のこと、あたし全部夢に見てたから知ってるんだ。そのあとで結女が何を思ったかも」
 顔を見ることのない告白というのは楽だった。光里には二つの罪があった。一つは本当にこの時代に守る価値があるのかと疑っていたこと。もう一つは、光里だけが結女のことを先に盗み見るようにしていたこと。

「……結女ねー、のんびりしてるし漠然と誰かを守りたいー! って思ってたけどフツーだから、守りたいって夢、ただみてるだけだったの。でも、ひかりちゃんが目の前に現れて、結女、ヒーローになれるんだって思ったら怖いけどワクワクしてるの」
「ワクワク?」
「そう。だって、ひかりちゃんたちが結女みたいにのんびり何も考えずに平和に過ごせるようにできるんでしょ、結女なら。そんなの、ワクワクするよ!」
「結女はもうじゅうぶんヒーローだよ、あたしにとってはね。結女の願いがあったからあたしはこの世界を守れることを素直に喜べるんだ」

 光里は結女の腰に抱きついていた手を離して、手で宙を軽くなぞるような仕草をした。結女の漕いでいたペダルが突然軽くなる。あたかも空転するそれは、地面との摩擦が皆無になった影響だ。

「今日は自転車で軽く走れるなぁ……なんだか空にそのまま飛んでいきそう」

 ゆっくりと、そう、結女にもすぐには気づかれないほどにゆっくりと、自転車は二人を載せたまま宙に浮かび始める。下り坂の中、飛び出すようにして空中を転がりだしたタイヤは、しかし歩くような速度だ。これなら結女も怖がることはないとわかるだろう。

「……あれぇ? ひ、ひかりちゃんー?」
「にひひ。結女の景色も見せてもらったから、次はあたしの番。どこでもいけるんだって、見せてあげる。歩くよりは乗り物に乗ってる方がそれっぽくていいでしょ?」

 のんびり、ゆっくり、空を飛ぶ。それは二人の視点の融合で、見慣れた街の景色は見慣れぬ視界の高さですこしだけ色を変えて。

「ほら、このくらいの高さならもう海だって見えるよ。きっと、夕暮れだって水平線の向こうに消えちゃうまで見れる」
「わあ、、こんな景色近くの山登っても見れないよ!! すごい! すごいね! ひかりちゃん!」
「結女にそう言ってもらえるとうれしいな。ではどちらに向かいましょうか、魔法使い様? 魔法のほうきがリードして差し上げましょう」

 夏の昼は長い。二人が歩速を合わせるならば、きっともっともっと長く楽しんでいられるだろう。

「じゃあじゃあ、あの夕日に向かっていい!? 海の上飛んでみたい!!」
「ひかりちゃんと一緒だと、結女違うことも沢山できる気がする!! 秋は色の変わる山を見て、冬は、雪の降る空を飛んでみたいなぁ」
「よーし、それじゃ少しだけ高度を上げてっと……夕焼けなんて超えて行っちゃえー!」

 夕暮れはもうすぐ。海面を照らす明かりは既に夏のオレンジ色に染まっていて。それでも、まだ引き伸ばせる気がした。結女と二人でなら、この穏やかな時間を引き伸ばし引き伸ばして。
 そしてその先で、いつか来る夜があったとしても、きっと二人でなら超えていけると、そう思えた。たとえそれが別れの時であったとしても。
 結女ならば、あたしの見れない景色でもおっていける。光里はそう確信して、この秘密だけをそっと守り通そうと決めたのだった。結女が、自分のことまで背負うことがないように。

 

2-2 砂状の楼閣

1-3 ファースト・レース


「ホームルーム始めるぞ! さっさと帰りたいのはわかるが、お前らちゃんと席につけ! 転校生を紹介するぞ!」

 担任が名簿で教卓をバシバシ叩くのを豪樹はぼんやりと見つめていた。頭の中はレースと自分の愛機のことでいっぱいだ。新しいタイヤが今日届くのだ、じっとしてなどいられなかった。
 そもそも、授業が全部終わった後に来る転校生ってなんなんだ。よっぽどの不良か問題児か……どちらにせよ、関わり合いになりたい人種とは思えなかった。
 似たようなことを考えていたのかクラスメイトのざわめきが再度の教師の一喝で収まる。そうして、ガララと音を立てて教室の扉が開いた。
 入ってきたのは女の子だった。担任の指示で黒板の前に立たされた彼女は、しかし自己紹介をするでもなくキョロキョロと教室内を見回している。

「彼女が転校生だ。さ、挨拶と自己紹介を!」
「……蛍。NDA-DB-3412-R」

 黒板にチョークが踊って、蛍NDA-DB-3412-Rと綺麗なブロック体が描かれる。「蛍NDA-DB-3412-Rちゃんだってー。仲良くなれそう!」だとか、「蛍NDA-DB-3412-Rちゃんかあ……結構かわいくね?」とクラスメイトが小声でささやきあうのが聞こえてきて、豪樹は心の底から早く帰りたくなる。
 だというのに、自分の名前を書き終えた少女は、目的の人物を見つけたというように豪樹の方を向いて視線を止めた。

「席は……彼の横。これは既定事項」
「お、じゃあそこの男子! その席を蛍。NDA-DB-3412-Rに譲りなさーい!」

 さすがの豪樹も気持ちが悪くなってくる。傍若無人に振る舞う転校生もそうだが、それに諾々と従う担任も、隣の席で荷物を片付け始めたクラスメイトにもだ。そもそも、

「なんだよ転校生、オレになんか用か? てゆーか、何その変な名前?」
「……私のことは蛍で平気。よろしく、一文字豪樹」
「あ、ああ。てんこーせいよろしくな」
「君はレースというものが好きだと認識している。あとでその話をしよう。契約のために」
「契約? なに? てんこーせい、オマエ何言ってんの? オレ、早く帰りたいんだけど」
「大丈夫だ。家に帰るルートも契約には何の問題もない。フラグは回収できる。蛍は完璧だから」

 こいつ、常識が通じない。助けを求めるように担任を見ても、人形にでもなったように固まったまま動かない。クラスメイトの視線は豪樹と蛍に集まったままで、こちらも明らかに尋常な様子ではない。

「ちょ、ちょっ、! せんせー、どうしちゃったの? え、みんなどうしたの?」
「……この世界の学校について調べが足りなかったのだろうか……あとで認識指定変更を行う。蛍は完璧だから」
「おま、何が完璧なんだよ。オレ、なんもやらなくていいなら帰るよ?」

 このままではホームルームも進みそうにない。つまりは帰れないということだ。それは困る。非常に困る。なぜなら家では新しいタイヤが豪樹を待っているわけで、これはもう仕方ないと席を立って教室を飛び出す。
 だが、全力疾走で飛び出したにもかかわらず、豪樹についてくる影があった。蛍だ。

「一文字豪樹、君は今から私と契約するよう動く。そういうルート。帰るなら私も同行する。」
「は? また契約? よくわかんないけど、オマエもミニ四駆やるの?」
ミニ四駆……認識している。お前が好きなレースの車だ。やる。そう答えると契約までのフラグに近づく」

 下駄箱で履き替え、また走る。レースで鍛えた足に自信のあった豪樹だったが、それに苦もなくついてきて、さらに会話もこなす蛍に少し認識を改めた。
 こいつ、変だけど意外とやるのかもしれない。

「じゃあ、オマエの車体ちょっと見せてみろよ」
「……これ」

 タイヤも大事だが、レーサーが相手なら話は別だ。豪樹は足を止め、蛍の差し出した手のひらを注視する。そこには一台のミニ四駆が載っており、けれどその期待はレーサーである豪樹でも見たことのない仕様のものだ。

 外装、シャーシ、パーツ……どれも特注であると一目でわかる。わかるが、機体の上部には見るからにガトリング砲のようなものがマウントされており。

「モーターは2050年式。希少なものを再現した。お前の機体など木っ端微塵にできる」
「お、おい、これ機関銃とかついてないか?こんなのついてていいのかよ? 空気抵抗で遅くなんぞ?」
「レースと言うものは機体同士が戦い合い潰すものなのではないのか? 我々と同じように、敵を潰すものだと認識していたが」
「う、うーん確かにプラズマ搭載して、レース場ぶっ壊してたやつもいたしなあ……よし、まあ認めてやろう。勝負しようぜっ!」

 豪樹に流れるレーサーの血がたぎる。路上レースは久しぶりだ。それが見たことのない機体が相手とあれば、沸き立たないわけがない。

「ああ、勝ったら私と契約でいいな。想定通り。契約に問題はなかった。蛍は完璧だ」
「よし、オマエが勝ったらなんでもいうこと聞いてやるぜ! でもな、オマエが勝つなんてありえねぇ! レースはここから向こうの駅に向かって、また戻ってくる一周だ。いいな?」
「構わない」
「いっけー、ブレイジングマックス!」

 豪樹は愛機をカバンから取り出して地面に置く。二人の合意とともに、勝負の火蓋が切って落とされる。

キャプラーキャノンとスパインドミサイルを展開、目標を破壊する」
「うおおお! 避けろ! マックスストーム!」

 蛍の機体から砲撃とミサイルが乱れ飛ぶ。けれど豪樹が愛機に向けて叫ぶと、爆炎の中をブレイジングマックスがマックスストームを展開して走り抜けていく。

「……なるほど、さすが私のリンカー。いい機体だが……何故走っているのだ……レースというものは、走るもの……? 認識が間違っていたのか?」
「あったりめーだ!てんこーせい、オマエ、レースやった事ないのかよ!?」
「……レースというものを知らない」

 蛍も機体を追うように走り出すが、攻撃の衝撃とモーターのあまりに強すぎる出力のために、しばらくもしないうちに機体が分解する。

「最近ミニ四駆をバトルと勘違いしてる奴らが多すぎるぜ。けどそうか、オマエも親父にバトルしか教わらなかったんだな」
「ああ、戦うしかなかったからな」
「レースは楽しいぜ!オレと一緒にレースしようぜ!!」
「それは、契約するということか?」

 たとえ相手の機体が壊れようとも、レースは走り抜けなければ終わらない。折り返し地点を超えて走りながら、豪樹は蛍の事情がわからないなりに共感し始めていた。

「ああ。いいぞ、一緒に走ろうぜ! オレ、オマエと一緒に走る事に決めた!」
「契約を受諾。これより君は私の契約者となる」
「よ、よくわかんねーけど、よろしくなっ」
「では契約の証として、これを」

 ゴールを決めた愛機を豪樹が拾い上げると、蛍はそっとそれに振れた。蛍の手が撫でると、うっすら輝くリングがタイヤの一つにくっついている。

「おー、かっけー! ありがとなっ ほたる! でもこれ、軽量化の邪魔にならないか?」
「問題ない。そのリングに重量はない。これにて契約は完了した。共に世界を救おう」
「は、世界? レースで世界救えんの? それなら、やってやるぜ!」
「ああ、世界を救えばレースが救われる。その認識で問題ない。ではこれからよろしく。一文字豪樹」

 

next 第二章 ただ一度の夏

2-1 ミッドサマー・フライティング

1-2 問い、更問い、更々問い

「ねえ、どこか寄っていきましょう!」

 授業の終わりを告げるチャイムと同時、隣席から正晴に声がかかった。教科書をカバンにしまっていた手を止めて顔を向けると、いつの間にそばに来たのか、見覚えのない少女がもうカバンを背負って口をとがらせて正晴を見ている。

「どうせ、委員会も部活もないんだから真っすぐ家に帰るんでしょ? たまには遊びにいきましょうよ」
「え、あ、アレ、静? 悪かったなあ、暇人で。どっか行きたいところでもあるのかよ?」
「ええ、たまには遠回りして海辺にでもいきましょう」

 放課後の教室では生徒たちが各々帰り支度なり部活の用意なりを始めており、二人をひやかす声があたりからまばらにあがる。正晴はそれを恥ずかしく思う一方で、頭の端のほうがピリッとうずく感覚を覚えた。
 幼馴染の……静、だ。どうして見覚えのないなんて思ったのだろう。こいつはいつもこうなのだ。周りの目なんてまったく気にしない。

「なによ、その顔は。たまにはいいじゃない」
「いいけどさ。珍しいな、学校で話しかけてくるなんて」

 珍しい? 正晴は自分の口から出た言葉に驚く。違和感がこびりついて離れないような。それでも正晴は手早く荷物を詰めると、静に付き合って立ち上がる。

「どうしたの? いつもの事じゃない。ちょっと正晴、アナタ今日おかしいわよ」
「んー、ちょっとめまいが……あんまり気にすんな。で、海だっけ?」
「たまには海辺にでもって思ったけど、どこでもいいわよ。ほらほら、急いで急いで」
「夏もまだなのにあんなところ、なんもないぞ? 別に寄り道ってほどでもないからいいけどさ、なにをそんなに急いでるんだよ」

 せかすように言う静に背中を押されながら教室を出る。二年の教室は校舎の三階で、ホールの大階段は手を引かれて歩くには後輩の目も先輩の目も気になる。だから正晴は静に付き合うように自然と早足になった。

「私、浜辺の景色好きなのよね。白い砂浜、輝く青い海……とはいかないけど、なんか好きなのよね」
 急いで出てきたためか、校舎を出る頃には生徒数もまばらになっていた。校門を出たところで、静ははたと立ち止まる。後ろを歩いていた正晴がぶつかりそうになってつんのめると、静は振り返って口を開いた。

「ねぇ、正晴。変な事聞くようだけどあなたは自分が生まれてよかったと思う?」
「今日変なのはお前の方じゃねえの、静。なんだっていきなりそんなこと」

 正晴はそう言って、けれど静が真剣な目をしているのに気がついて少し考える。

「そうだな、俺は、まだわかんないかなあ」
「そう……じゃあ、あなたは何のために生きているの?」
「それもわかんないな、わかるやつなんているのか?」

 矢継ぎ早の質問にたじろぎ言葉を切ってから、正晴は空を仰ぐ。静はゆっくりと歩きだして、それに合わせるように信号が変わる。

「もし仮にわかると思いこんでいたとして、だ。そいつがそのために生まれてきたのかなんて、誰が証明できる?」
「証明なんてする必要ないわ。わたしは……」

 白線を飛ぶように駆ける静の声は小さくなって、正晴には最期まで聞き取れない。その背を追いかけると、見ているかのように静は先に歩き出す。

「じゃあ、あなたはこの世界は好き?」
「ん、嫌い、かな。どちらかって言うと。嫌いが六割好きが四割、そんくらい」

 なんとかして横に並ぶと、更に質問が飛んでくる。やっぱり変だ。なにもかもおかしい気がして、六月の照りつける太陽もぐらりと揺れる。それでもこの違和感の正体を確かめたくて、正晴はなんとか自分たちの向き合ってる現実のことを考えて、口にする。

「少なくとも期末テストのことを考えると今は嫌い寄り、かな」
「そっか……嫌いが6割、か」
「静、お前――」
「たとえば……たとえばよ? この世界が、このままでは終わりを迎えてしまう、そんな事になったらあなたはどうする? あなただけがそれを止めることができる、可能性がある。だとしたらどうする?」

「お前はこの世界が好きなのか」、と口にしかけて、やめる。並んで歩くと静の表情が見えて、泣きだす一歩手前のようなそれは、あまりに切羽詰まっていて。
 きっと静にとってこの世界が好きなのかなんて質問は愚問なのだろう、そう悟ってしまう。

「俺にしかできない、っていうなら。やるさ」

 虚勢だろうか。でも正晴は今の一瞬、たしかにそう思った。やるしかないのなら、やる。期末テストと同じだ。
 静は答えに納得したのだろうか。少し逡巡するような間のあと、彼女は正晴の手を取った。

「この世界はもうすぐ終わりを迎えるわ。でも、正晴。あなたはそれを止める可能性を持っている」
「一体全体なんの話なんだよ、やっぱり――」

 その時、突如として正晴の脳内に大量の情報が流し込まれる。明けない冬の空。彼女の生まれ育った施設。2050年の、イメージ。

「わたしはあなたのドラグブライドとして、未来からやってきた。正晴、あなたを探し求めて、やっと見つけた。わたしと契約をして」
「……お前、誰だ?」

 手を握る静の力は強い。正晴はその手を握り返せずにいた。
 この少女は静ではない。いや、静なんて幼馴染は最初からいなかった。正晴はずっと一人だった。白昼夢を見せられたように、彼女は今日突然現れたのだ。

「正晴、あなただけが未来の可能性。信じて。そして、戦って」

 だが、不快ではなかった。背を押されるのも、こうして並んで歩くのも。正晴は陽射しがやけに眩しく感じた。

「さあ、わたしの手をとって。そして未来を切り開いて。さあっ!」
 握られた手からは彼女の感情が流れ込んでくる。彼女が正晴を探していたというのは本当だ。あまりにも切実なそれは、正晴でないといけないと、彼女は正晴にすべてを賭けたのだと告げていた。

「その前に教えてくれ、キミの、本当の名前は?」
「コードネームNDA-DB-3412-S。静、よ。ずっとあなたを探していた」

 名前を聞いてから、正晴はもう自分の気持ちが決まっていたことに気づいた。なくしていたジグソーパズルの最後の一欠片を見つけたときのようにスッキリとした気分だった。

「わかった。キミが選んだのなら、俺は従おう。俺よりはキミのほうが、少なくともずっと世界が好きそうだ」

 二人は立ち止まっていた。正晴は静に正対して、その手を握る。その瞬間にまばゆく輝く指輪が現れ、2人の薬指にはまり込む。

「ありがとう。あなたに天の祝福、地の平穏があらん事を」

 

1-3 ファースト・レース