1-1 未来からきたヒーロー

第一章 六月の邂逅


「おばあちゃあん、配達行ってきますー!」

 六月の暑い日のことだった。いつものように仏壇に手を合わせてから、結女は店に向かって声をかけた。夕方から夜にかけては、寿司屋の配達のバイトの時間だ。
 高校生である結女は、育ての親である祖母、祖父が営んでいる寿司屋で配達のアルバイトをしていた。家の手伝いだからと、学校にも黙認されている。
 通学用の自転車をこいで、注文の品を指定された場所に届けて回る。毎年のことながら、夏に向けて注文は順調に増えていた。人は暑くなると魚を食べたくなるらしい。
 届け先はメモで受け取っている。上から順に配っては消していくと、家からぐるりと町内を一周するように一筆書きで回ることが出来るようになっている。おばあちゃんの気遣いはすごいと、結女はいつも思っている。

「えーと、山田さんところも終わったし……田中さんところも、おっけー。よし、これで配達これで終わりだね!」

 配達を終えて田中さんの家の門を出た結女は、リストを上から下まで眺める。今日の仕事が終わったことを確認して自転車に乗ろうと思ったその時、脇から突然声をかけられた結女は思わず紙を取り落とした。

「あなたが小城結女ね! あたし、NDA-DB-3412-I! あなたを、待ってたの!」

 それはあまりにも嬉しそうな声色で。
 結女が面食らってあたりを見回すと、そこには忽然と一人の少女が現れていた。彼女は自分の発言が異常なことにも全く気がついていない様子で、ニコニコと結女を見ている。あっけにとられた結女が固まっていると、さっきまで子供の遊ぶ声や車の走る音で賑わっていた住宅街は静まり返っており。
 もう夏も間近だというのに、蝉の声もしなくなっている。世界に取り残された気持ちで少女の顔をまじまじと見つめると、思い出したように彼女は口を開いた。

「ああそっか、はじめから説明しなきゃいけないんだっけ。端的にいうと、この世界はあと少しで滅びます」

「だから」、とまくし立てるように言った少女はそこで言葉を切った。一瞬の逡巡のあと、力強い言葉で、

「あたしと、契約して!」

 言葉足らずでも結女がそれを断るとは全く思っていない笑顔で、NDA-DB-3412-Iと名乗った少女は右手を差し出した。

「世界が滅びるって……? えと、よくわからないけど……またあんな2013年みたいな、怖いことが起きるの?」

 結女の脳裏に、何度も映像で見た陽光色の光が蘇る。2013年に東京を襲った大災害。
 ちょうど母が出産のために駿河市の実家に帰っていたそのときに起きた事件の話を、結女は何度も聞かされていた。突如起きた光の奔流が東京の街を一日にして消し飛ばしたあの事件、結女の父親をも奪い去った光の話を。
 その母も八年前に亡くなったが、結女にとっては悪夢のようにその光は焼き付いていた。

「そう。2013年の事件は余波みたいなものなの。本番はこのあと、8月25日の夜に起こる。あたしはそれから世界を守るために未来からやってきたヒーローなのです。そして結女ちゃん、あなたの協力がそのためには不可欠なの!」

 物音一つない町に、少女の声は高らかに響く。信じられる話ではなかった。それが表情に出ていたのか、少女はそこで急に声の調子を落とす。

「だめ、かな?」

 その姿があまりにもたよりなげに見えて、つい結女は口を挟んでしまう。冗談だと思う半分、どこか信じかけている自分がいることにも驚きながら。

「……未来から来たヒーロー……? 結女にはえと、名前なんて呼べばいいかわからないけど。ねえ、その先の未来って、世界ってどうなるの?」
「長ったらしくて呼びにくいよね。光里、って呼んでくれればいいよ」

 ひかり。結女はその名前を口の中で転がしてみる。その名前はNなんとかみたいな型番より、よっぽど彼女に似合っているように思えた。そうしているうち、光里は難しい表情になって話を続ける。

「あたしたちは、永遠の冬って呼んでる。暗くて、寒くて、外に出ることなんて考えられもしない……そんな世界。地球がぶっ壊れちゃうわけじゃないけど、少なくとも人間は誰も生きていけない。滅ぶ、ってのはそういう意味」

 想像もつかない。そんなことにどうやったらなるんだろうか。核戦争? それとも、全世界であの光のようなのが炸裂して……考えて、結女はぞっとする。

「結女には見たことがあるんじゃないかな、あのときの東京よりももっとひどい、それがあたしのやってきた2050年の未来なの」

 だから、と光里は差し出したままの手を結女に向かって強くアピールした。

「あれが、もっとひどいことになるの……? 結女、もう誰も失いたくないよ……」

 光里はもう何も言わなかった。ただ、結女が手を取るのをまっすぐ見つめたまま待っているように見えた。

「ねえ、ひかりちゃん。結女、普通の子だけど世界がそうなるの、どうにかできるの?」
「できるよ、結女とあたしなら。なんだってできる。だってこうして出会えたんだもん!」

 ただ一度きりの時間遡行。ただ一人きりのパートナー。目覚める前の揺蕩いの中で何度も何度も見た結女の頑張りは、既に光里の一部になっている。
 だから光里にとってはそれが当たり前であるかのように、まっすぐに、結女の目を見つめ続ける。それは自信ありげでありながら同時にどこか助けを求めるかのようなよすがの無さを湛えていて。

「一人じゃ無理かもだけど、あたしと結女なら絶対できる。だからお願い、力を貸して!」

 目の前の少女の表情が、声が、不思議と心地よく感じる自分に結女は気づいた。なにか出来ると言ってくれる人を、ずっと待っていた気がした。

「だったら、私、あなたの手を取る。だってもう、誰もあんなことに巻き込まれて、お父さんやお母さんがいない子増やすのやだもん」

 この子となら、なんでもできる気がする。この子とならなら世界を変えられる気がする。
 見慣れた商店街の、何の変哲もない場所で、こんな魔法少女のアニメみたいなことしてるなんて変なんだろうけれど。

「結女、人を救えるかな。救えるなら、あなたと一緒に救いたい」

 目の前の少女の手を取ろう、そう結女は決めた。お父さん、お母さん、結女、人を救うヒーローになれるかな。なれるなんて思っても見なかったことだけど。
 光里にとっては2030年のあらゆる場所が未知で、刺激的で、そしてアニメのように極彩色だ。光里が結女の手をとると、結女には2050年の記憶光里の見ている世界が一挙に流れ込み、気がついたときにはお互いの薬指に一つのリングがはまっている。

「ありがとう、結女。ずっと思ってたんだ、あなたに会いたい、こうして手を握りたいって。まずは一つ、それがかなった。だから世界も救えるって思うの」

 光里の緊張が解けていくのを結女は感じた。これがつながるということなんだとわかって、なんだか嬉しくなる。

「これから二ヶ月間、よろしくね。夏っていうんでしょ? あたし、結女と一緒にいろんなものを見たいな!」

 光里は無邪気に結女に笑いかけた。これは何も考えていない顔だ、結女にはそれもわかった。だから今度は結女が光里の両手を握った。

「いろんなところ連れてってあげる!! ここにはね、沢山楽しい場所があるんだから!!」

 

1-2 問い、更問い、更々問い