1-2 問い、更問い、更々問い

「ねえ、どこか寄っていきましょう!」

 授業の終わりを告げるチャイムと同時、隣席から正晴に声がかかった。教科書をカバンにしまっていた手を止めて顔を向けると、いつの間にそばに来たのか、見覚えのない少女がもうカバンを背負って口をとがらせて正晴を見ている。

「どうせ、委員会も部活もないんだから真っすぐ家に帰るんでしょ? たまには遊びにいきましょうよ」
「え、あ、アレ、静? 悪かったなあ、暇人で。どっか行きたいところでもあるのかよ?」
「ええ、たまには遠回りして海辺にでもいきましょう」

 放課後の教室では生徒たちが各々帰り支度なり部活の用意なりを始めており、二人をひやかす声があたりからまばらにあがる。正晴はそれを恥ずかしく思う一方で、頭の端のほうがピリッとうずく感覚を覚えた。
 幼馴染の……静、だ。どうして見覚えのないなんて思ったのだろう。こいつはいつもこうなのだ。周りの目なんてまったく気にしない。

「なによ、その顔は。たまにはいいじゃない」
「いいけどさ。珍しいな、学校で話しかけてくるなんて」

 珍しい? 正晴は自分の口から出た言葉に驚く。違和感がこびりついて離れないような。それでも正晴は手早く荷物を詰めると、静に付き合って立ち上がる。

「どうしたの? いつもの事じゃない。ちょっと正晴、アナタ今日おかしいわよ」
「んー、ちょっとめまいが……あんまり気にすんな。で、海だっけ?」
「たまには海辺にでもって思ったけど、どこでもいいわよ。ほらほら、急いで急いで」
「夏もまだなのにあんなところ、なんもないぞ? 別に寄り道ってほどでもないからいいけどさ、なにをそんなに急いでるんだよ」

 せかすように言う静に背中を押されながら教室を出る。二年の教室は校舎の三階で、ホールの大階段は手を引かれて歩くには後輩の目も先輩の目も気になる。だから正晴は静に付き合うように自然と早足になった。

「私、浜辺の景色好きなのよね。白い砂浜、輝く青い海……とはいかないけど、なんか好きなのよね」
 急いで出てきたためか、校舎を出る頃には生徒数もまばらになっていた。校門を出たところで、静ははたと立ち止まる。後ろを歩いていた正晴がぶつかりそうになってつんのめると、静は振り返って口を開いた。

「ねぇ、正晴。変な事聞くようだけどあなたは自分が生まれてよかったと思う?」
「今日変なのはお前の方じゃねえの、静。なんだっていきなりそんなこと」

 正晴はそう言って、けれど静が真剣な目をしているのに気がついて少し考える。

「そうだな、俺は、まだわかんないかなあ」
「そう……じゃあ、あなたは何のために生きているの?」
「それもわかんないな、わかるやつなんているのか?」

 矢継ぎ早の質問にたじろぎ言葉を切ってから、正晴は空を仰ぐ。静はゆっくりと歩きだして、それに合わせるように信号が変わる。

「もし仮にわかると思いこんでいたとして、だ。そいつがそのために生まれてきたのかなんて、誰が証明できる?」
「証明なんてする必要ないわ。わたしは……」

 白線を飛ぶように駆ける静の声は小さくなって、正晴には最期まで聞き取れない。その背を追いかけると、見ているかのように静は先に歩き出す。

「じゃあ、あなたはこの世界は好き?」
「ん、嫌い、かな。どちらかって言うと。嫌いが六割好きが四割、そんくらい」

 なんとかして横に並ぶと、更に質問が飛んでくる。やっぱり変だ。なにもかもおかしい気がして、六月の照りつける太陽もぐらりと揺れる。それでもこの違和感の正体を確かめたくて、正晴はなんとか自分たちの向き合ってる現実のことを考えて、口にする。

「少なくとも期末テストのことを考えると今は嫌い寄り、かな」
「そっか……嫌いが6割、か」
「静、お前――」
「たとえば……たとえばよ? この世界が、このままでは終わりを迎えてしまう、そんな事になったらあなたはどうする? あなただけがそれを止めることができる、可能性がある。だとしたらどうする?」

「お前はこの世界が好きなのか」、と口にしかけて、やめる。並んで歩くと静の表情が見えて、泣きだす一歩手前のようなそれは、あまりに切羽詰まっていて。
 きっと静にとってこの世界が好きなのかなんて質問は愚問なのだろう、そう悟ってしまう。

「俺にしかできない、っていうなら。やるさ」

 虚勢だろうか。でも正晴は今の一瞬、たしかにそう思った。やるしかないのなら、やる。期末テストと同じだ。
 静は答えに納得したのだろうか。少し逡巡するような間のあと、彼女は正晴の手を取った。

「この世界はもうすぐ終わりを迎えるわ。でも、正晴。あなたはそれを止める可能性を持っている」
「一体全体なんの話なんだよ、やっぱり――」

 その時、突如として正晴の脳内に大量の情報が流し込まれる。明けない冬の空。彼女の生まれ育った施設。2050年の、イメージ。

「わたしはあなたのドラグブライドとして、未来からやってきた。正晴、あなたを探し求めて、やっと見つけた。わたしと契約をして」
「……お前、誰だ?」

 手を握る静の力は強い。正晴はその手を握り返せずにいた。
 この少女は静ではない。いや、静なんて幼馴染は最初からいなかった。正晴はずっと一人だった。白昼夢を見せられたように、彼女は今日突然現れたのだ。

「正晴、あなただけが未来の可能性。信じて。そして、戦って」

 だが、不快ではなかった。背を押されるのも、こうして並んで歩くのも。正晴は陽射しがやけに眩しく感じた。

「さあ、わたしの手をとって。そして未来を切り開いて。さあっ!」
 握られた手からは彼女の感情が流れ込んでくる。彼女が正晴を探していたというのは本当だ。あまりにも切実なそれは、正晴でないといけないと、彼女は正晴にすべてを賭けたのだと告げていた。

「その前に教えてくれ、キミの、本当の名前は?」
「コードネームNDA-DB-3412-S。静、よ。ずっとあなたを探していた」

 名前を聞いてから、正晴はもう自分の気持ちが決まっていたことに気づいた。なくしていたジグソーパズルの最後の一欠片を見つけたときのようにスッキリとした気分だった。

「わかった。キミが選んだのなら、俺は従おう。俺よりはキミのほうが、少なくともずっと世界が好きそうだ」

 二人は立ち止まっていた。正晴は静に正対して、その手を握る。その瞬間にまばゆく輝く指輪が現れ、2人の薬指にはまり込む。

「ありがとう。あなたに天の祝福、地の平穏があらん事を」

 

1-3 ファースト・レース