2-1 ミッドサマー・フライティング

第二章 ただ一度の夏

 夏休み。学生たちは各々の部活動に気炎を上げる中。結女を後ろに載せて、光里の漕ぐ二人乗りの自転車は法定速度を大きく超過しながら流星のように出前を配ってゆく。

「ま、待ってー! お寿司が! お寿司がぁー!!」

 聞けば、結女は部活にも所属していないらしい。結女らしい、ともう一月以上共に暮らしている光里は思う。きっと、普通の学生の求める幸せを甘受することに良心の呵責を覚えたりなどするのだろう。想像だが。
 だから、光里はひたすら自転車を飛ばす。風を置いて。音を置いて。光を置いて。寿司が乾く間など与えるはずもない。

「しっかり捕まっててね! このまま最後の鈴木さんちまでいっくよー!」
「もう!またお寿司が崩れてるーって鈴木のおばちゃんに怒られちゃうじゃない!」
「だいじょうぶだいじょうぶ、寿司桶はちゃーんとNDエレメントで覆ってあるから! 未来技術は2030年の冷蔵庫よりも快適だよ!」
「未来って便利だけど、ちゃんと自転車の速度で走らないと、またお巡りさんにも怒られちゃうんだからね?」
「700日戦争、ってのもいいかもね。結女は心配性だなー、みんな気にしないって言ってるのに」

 NDエレメントは万能だ。ドラグブライドの基礎機能として展開できるそれは、物理法則にとらわれないどころか、人間の記憶や感情までも容易に操作する。一部の例外を除けば、だが。
 まだ日が高いうちに鈴木さんの家まで配り終え、そこでやっと光里は自転車を止めた。結女もほっと一息つく。

「あんまりはしゃがないでよ、今日は団体のお客さんがお店に来るみたいだからひかりちゃんにもお料理とか沢山作るの手伝ってもらわないとなんだし」
「もっちろん! このひかりちゃんに任せなさい!」

 料理、というのも光里は先日はじめて体験した。NDエレメントで再現された食事とおじいちゃんが手で握ったお寿司は雲泥の差で、前々から興味があったのだ。……結果は、散々だったが。
 それからこっそり練習を重ねたので結女にも褒めてもらえる程度には改善した、はずだ。

「あ、帰りは結女が自転車運転する」
「結女はゆっくり走りたがりだな?」と言いつつ、素直に運転席は譲って荷台に横座りをする。ゆっくりと結女が自転車を漕ぎ出すと、さっきまでは遮られていた風の流れを皮膚で感じられる。
「ほほー、こんなふうに見えるんだ、知らなかった」

 荷台から見える景色はペダルを全力で踏み込んでいるときのそれとはまるで違って見えて、光里は結女に捕まる力を思わず少し強くした。自分で動かしてる乗り物よりずっと速いように思う。

「ね、こうやってゆっくり走るのも楽しいでしょ。いろんなお店もあるなーってみえたり、猫がいるなーって挨拶できたり」

 この景色を、きっと結女は守りたいと思ったのだろう。自分には使命しかないけれど、まどろんでいたときに感じた結女の気持ちと似たそれが胸に去来するのを感じた。

「結女は、マイペースで鈍くさいってよく言われるけど、のんびり歩いたり走ったりするのも好き。ひかりちゃんはビューンって飛ぶのも好きそうだけど」

 結女が笑うのを光里は背中から感じた。NDエレメントを使わなくても、背中に掴まっているとそんなこともすぐに分かる。そのことが光里にとっては驚きで、新鮮だった。

「そういえば、ひかりにはおとーさんとかおかーさんとかいる?」
「あたしたちドラグブライドにはね、お父さんもお母さんも、誰もいないの。自分と、きょうだいと。それだけ。すっごく狭いんだよ、基地だってさ。遊び道具だって何もなくて。ただ、教えられてた。地球には昔すごいものがいっぱいあって、すごい人がいっぱいいて」

 自分はいまその時代にいるんだ、と思うと光里の胸は何度でも自然に高鳴る。結女だってすごい。光里にはわからないこともいっぱい知っている。急がないことも、周りを見ることもお、お箸の使い方だって光里に教わった。

「それをあたしたちドラグブライドの手で取り戻すんだ、って使命だけがあってさ、みんなそれを大切にしてるのね」

 姉妹たちのことは好きだった。特に自分を見送ってくれた長姉には感謝もしている。彼女が自分を顧みず送り出してくれなければ、こうして結女と出会うことさえ光里にはできなかった。
 けれど、

「あたし、そんなのは嫌だった。ごめんね、実はさ、結女が昔あった災害のこと、あたし全部夢に見てたから知ってるんだ。そのあとで結女が何を思ったかも」
 顔を見ることのない告白というのは楽だった。光里には二つの罪があった。一つは本当にこの時代に守る価値があるのかと疑っていたこと。もう一つは、光里だけが結女のことを先に盗み見るようにしていたこと。

「……結女ねー、のんびりしてるし漠然と誰かを守りたいー! って思ってたけどフツーだから、守りたいって夢、ただみてるだけだったの。でも、ひかりちゃんが目の前に現れて、結女、ヒーローになれるんだって思ったら怖いけどワクワクしてるの」
「ワクワク?」
「そう。だって、ひかりちゃんたちが結女みたいにのんびり何も考えずに平和に過ごせるようにできるんでしょ、結女なら。そんなの、ワクワクするよ!」
「結女はもうじゅうぶんヒーローだよ、あたしにとってはね。結女の願いがあったからあたしはこの世界を守れることを素直に喜べるんだ」

 光里は結女の腰に抱きついていた手を離して、手で宙を軽くなぞるような仕草をした。結女の漕いでいたペダルが突然軽くなる。あたかも空転するそれは、地面との摩擦が皆無になった影響だ。

「今日は自転車で軽く走れるなぁ……なんだか空にそのまま飛んでいきそう」

 ゆっくりと、そう、結女にもすぐには気づかれないほどにゆっくりと、自転車は二人を載せたまま宙に浮かび始める。下り坂の中、飛び出すようにして空中を転がりだしたタイヤは、しかし歩くような速度だ。これなら結女も怖がることはないとわかるだろう。

「……あれぇ? ひ、ひかりちゃんー?」
「にひひ。結女の景色も見せてもらったから、次はあたしの番。どこでもいけるんだって、見せてあげる。歩くよりは乗り物に乗ってる方がそれっぽくていいでしょ?」

 のんびり、ゆっくり、空を飛ぶ。それは二人の視点の融合で、見慣れた街の景色は見慣れぬ視界の高さですこしだけ色を変えて。

「ほら、このくらいの高さならもう海だって見えるよ。きっと、夕暮れだって水平線の向こうに消えちゃうまで見れる」
「わあ、、こんな景色近くの山登っても見れないよ!! すごい! すごいね! ひかりちゃん!」
「結女にそう言ってもらえるとうれしいな。ではどちらに向かいましょうか、魔法使い様? 魔法のほうきがリードして差し上げましょう」

 夏の昼は長い。二人が歩速を合わせるならば、きっともっともっと長く楽しんでいられるだろう。

「じゃあじゃあ、あの夕日に向かっていい!? 海の上飛んでみたい!!」
「ひかりちゃんと一緒だと、結女違うことも沢山できる気がする!! 秋は色の変わる山を見て、冬は、雪の降る空を飛んでみたいなぁ」
「よーし、それじゃ少しだけ高度を上げてっと……夕焼けなんて超えて行っちゃえー!」

 夕暮れはもうすぐ。海面を照らす明かりは既に夏のオレンジ色に染まっていて。それでも、まだ引き伸ばせる気がした。結女と二人でなら、この穏やかな時間を引き伸ばし引き伸ばして。
 そしてその先で、いつか来る夜があったとしても、きっと二人でなら超えていけると、そう思えた。たとえそれが別れの時であったとしても。
 結女ならば、あたしの見れない景色でもおっていける。光里はそう確信して、この秘密だけをそっと守り通そうと決めたのだった。結女が、自分のことまで背負うことがないように。

 

2-2 砂状の楼閣