2-2 砂状の楼閣


「ねっ、海いきましょ。海。どうせ暇なんでしょ?」
「わかったよ、海ね、海。好きだよな、静も……なんで海にこだわるんだ?」
「2050年の世界ではずっと地下に暮らしていたの。ここに来た時ホントに感動したわ。山も空も、とっても綺麗。その中でも海は一番綺麗だわ」

 夏休みに入るとにわかに街は活気づいたように静には感じられた。学校も興味深かったが、そこから解放された学生たちの熱量が空気に感染しているようだった。
「広い広い水たまり。知識の中でしか知らなかった海。舐めるとしょっぱいのよね。びっくりしたわ」

 結局静はあれから正晴の家で暮らしていた。双子の妹がいたことにするくらいクラス全員の記憶を改ざんすることに比べれば簡単だったし、睦月家の二階を一区画増設することもそうだ。正晴だけはなんだか嫌そうにしていたが、それが本気の拒絶でないことも指輪から伝わってきていた。
 二人は家を出ると、駿河湾に向けて歩き始める。ここのところ毎日のように通っていたが、それでも海の匂いを感じると静の心ははやる。

「俺にはどっちも見慣れたもんだけど、2050年の人から見ればそんなもんなのかね。俺からしてみれば静の使うND粒子とやらのほうがよっぽど驚きもんだよ」
「ND粒子なんてこんなのまがい物よ。確かに本物そっくりの映像、匂い、感触、それどころか記憶すらも再現できるけど、これは本物じゃない」

 「本物」の潮の香りを胸いっぱいに吸い込んで、砂浜に向かって静は足を速める。後ろを見ずとも正晴がついてきているのがわかって、静は小さく微笑んだ。

「最初に会ったときの幼馴染だと認識させる技、あれこそまさに魔法だと思ったけどね……本物も偽物も、そこでは完全に曖昧で」
「でも、あなたは最後に気づいたじゃない。所詮造り物の記憶。でも本物は人の心を揺り動かす。そう、人に造られしドラグブライドの心もね」
「まあ魔法使いさんが本物だと言うんならこの塩水だって本物なんだろう」

 遅れてやってきた正晴は静を追い越すと、と砂浜の土を軽く足で波打ち際に寄せた。波をせき止める土手のように。それでも波は数度の満ち引きの末に、それを押し流していく。

「そうね、この海の雫は心に打ち寄せてくる波のよう」
「詩人だな。造られたってお前は言うけど、そんなの俺だって同じだろ。人間に造られた人間、違いはドラグブライドかどうかだけ。正味な話、俺なんかよりよっぽど本物なんじゃないか、お前」
「そうね、本物と偽物の違い……それを想う人の心がどれだけ重いのかで決められるのかもしれない」
「2050年の唯我論、ってとこかな。この海はお前が想いを寄せているからこそ鮮明にあり、か」

 正晴はなににこだわっているのだろうか。静にはそれがわからない。ぼんやりと伝わってくる感情は、けれど彼が考えていることをすべて教えてくれるわけではない。それがもどかしくもあり、どこか楽しくもあった。
 静は中腰になって砂を手でいじり始めた。砂を触る時、子供は城を作りたがる。それはなぜだろうと考えて、昨晩思いついた結論が自分でも作ってみることだった。

「2050年の世界、わたしが造られた世界。みんないい人だったけど、必死にわたしを造り出し、一縷の望みをたくしてこの次元に送りだした人たち。でも、わたしは決して望んでこの世界に来たわけじゃない」
「じゃあ何を思ってきたんだ? 救うべき世界を見ることは、やっぱり旅の目的なのか?」
「もちろん、望んできたわけじゃないけど、わたしは自分の使命をわかっているつもりよ。『何故来たのか』は愚問よ。わたしは為すべきことがあるからここへ来た」
「為すべきことを為す、はトートロジーだろ、そこには為したいと思った主体があるはずだ……それが静自身に端を発するものじゃないにしても」
「主体、ね。ドラグブライドのわたしにそんな事を言うの」

 口にしてみて、これは違うなと静は自分が感じたことに気づく。正晴の指摘は正しい。静は望むと望まざるとにかかわらず、この時代に送り込まれた。これは目覚めた時からのさだめで、姉妹として生まれ落ちたことの義務だ。
 けれど、この世界に来たことで感じたものは、生まれた気持ちは静のものだった。だから、思ったことを言葉にする。してみる。これもまた、この世界に来て初めて経験したことだ。

「見る事、海を見る旅……『母なる海』っていう言葉があるみたいだけど、全てを包み込む優しさをこの景色に感じているのかもしれない。この世界の空と海と大地と、学校の人々を見ているうちに、わたしの世界になかったこの綺麗な景色を、2050年の未来、いいえ、もっと先の未来へ受け継がせてあげたいと思った」
「そうか。それならよかった。お前がそう思うのなら、きっとそれは正しい。俺は自信がないから、静のようにあるがままを賛美するなんてできないけど」

 静は少し笑った。パートナーの頼りなさにではない。それを口にする率直さをいいと思った自分に対して。
 静の作り出した城とも言えない砂山に、正晴が手を伸ばした。ためらいがちに整形する手つきは静よりも少しうまい。

「それでも為したい、という気持ちは理解できる」
「わたしは必ずこの世界を未来へ繋げるわ。 ねぇ、アナタは今の世界が当たり前だと思っているかもしれないけど、失った時はもう遅いのよ」
「静は強いな。やっぱり、このお話の主体はお前だ。俺は端役でただの契約者だ――コントラクターというより、コンダクターみたいなものなのかもしれないけどな」

 正晴は手を止めた。まだ不格好なただの砂山なのに、もう満足してしまったようだった。

「俺は失うのが怖い。それは世界じゃなくても同じだ。自分の手から滑り落ちてしまったものに価値があると知ってしまったら、死ぬほど後悔するだろう」
「アナタは何も失わない。アナタは端役なんかじゃない。アナタの想いの強さが鍵となるのよ。そしてわたしは、アナタの心に賭けた。これは絶対に外さない賭け。外せない賭け」
「だからさ、俺は静に協力してる。お前が見つけ、お前が為すんだ。俺はそのための手段を提供できる。一緒に世界を見て回ることができる。けれど、舞台の上には上がれないんだ。上がるのが、怖いんだ」

 静の目の前で、正晴は砂山を蹴り崩した。半ばから割られたそれは、放っておけばすぐにでも海へと還ってしまいそうだ。

「俺の思いが静の力になるというのなら、俺は君のことを精一杯想おう。世界の存続を希おう。恐怖心からくるこの気持ちは、偽物だと思うか?」
「誰しも失うのは怖いわ。でも舞台に上がるのはアナタだけじゃない。わたしもいる。わたしも一緒に舞台へあがるのよ」

 海にさらわれてしまう前に、静はND粒子を解き放った。正晴に蹴り崩されたはずの砂が山になり、そして静の脳内に思い描いたとおりに城になる。
 正晴を真正面から見据えた。そしてこのあつい気持ちが消えてしまう前に、と口に出した。

「一緒に戦って。正晴!」

 正晴はおもむろにポケットから硬化を一枚取り出した。それをあたかも旗のように、砂の城のてっぺんに立てる。

「俺の負けだ、共に戦おう。静の手を取ったときにその覚悟はもう決めてたさ。矢面に立てたかったわけじゃない、ただ……」
「ただ?」

 と、そこまで言った正晴は口をつぐむ。静は城の出来栄えを見た。いい。これなら空にも街にも海にも負けないだろう。
 しばらく待って、正晴が口をつぐんだのを察し「ええ、ありがとう正晴。優しいのね」と静はつぶやく。

「勘違いしないでくれ、俺は静たちに救われるほど高尚なもんじゃないってだけだ。自分で生き延びる分くらい、自分で働かないとな」

「照れないでもいいのよ」静は声に出して笑う。賭けが確信に変わった瞬間だった。

 

2-3 特訓