3-1 祭り囃子鳴り止まず

第三章 終末の日のすごしかた

 陽は既に落ちて。祭りの夜は幕を開ける。家々から立ち上る夕食の香りも、今日ばかりは出店の喧騒に取って代わられている。
 正晴は静とともに海へと向かう道程を歩いていた。手が触れ合う距離、けれど触れることはなく、いつものように静に先導されて、夜道を歩く。

「そんなに急がなくてもいいんじゃないか? 花火まであと一時間はあるぞ」
「人の時間は有限なのよ。さあ、あなたのお勧めはどこなのかしら?」

 静はにっこり笑って正晴を上目遣いで見つめる。時間がないことは正晴にもなんとなくわかっていた。だからこそ静はこんなに急ごうとするのだと。
 静はいつも急ぎ足だ。それは生き急いでいると言うよりも、なお悪い連想をさせて正晴の気分は重くなる。

「お前も知ってるだろ、毎年行ってるんだし……いや違った、そうじゃなかったな」

 今でも、ふとしたときに静が本当に幼馴染だったかのように感じることがある。それは彼女によって書き加えられた「設定」であるのに、ついそれに甘えてしまいそうになるのだ。
 実際のところ彼女はこの街についてどれだけのことを知っているのだろう、と思うと不意に申し訳無さに襲われる。彼女は、実際にはそうではなかった十七年をそうであるかのようにして、この街を守るために戦うのだと。

「そうだな、そうだ。よし、案内してやる。実はな、いつもの海岸より少し手前にビルがあって、この時期だけは管理人がこっそり開けておいてくれるんだよ。ほら、そっちだ」

 と、今度は静に入れ替わるようにして正晴が先に立ち、彼女と足取りを合わせるようにその手のひらを取った。静の体温を間近に感じる。今夜ばかりは周囲の視線も気にすることはない。

「ちょ、ちょっと正晴、早いわよ」
「なんだ、自分から握られるのは恥ずかしいのか? 誰も見てないって」

 普段はあれだけ積極的で、NDエレメントを散布してでも引っ張っていく静の一面に、思わず微笑む。周囲には人も多く、みんながそれぞれ自分たちの足取りに必死だというのに。
 横笛と太鼓の音が遠く響く。人波を縫うように二人は一つになって進む。歩みを進めるにつれ、ぽつりぽつりと静は語りだした。

「ホントはね、この町の事はそれなりに調査して着任したわ。でもワタシが知っている事と、あなたが過ごした 十七年間は重さが違う」

 そんなことはないと言ってやりたかった。けれど、本物であることにこだわる彼女にとって知識と体験は大きく違うのだろう。

「だからもしも、あなたがこの街を守ると言っているワタシに何か想うところがあったとしても、それは気にする事じゃない」
「いや、これは俺の問題なんだ。君にこれまで引っ張られっぱなしだった俺の、贖罪なんだよ」

 だから、代わりに正晴は自分の思ったことを口にする。この思いは本物だ。それが静に向き合うことなのだと、正晴はもう知っていた。

「一番高いところに登ろう。それが一番良く見える。花火も、人も」

 彼女は見なければならないと思った。空や海に負けないくらいの人の営為を。まだまだ足りないのかも知れないけれど、一つ一つ説明して回っている時間は始めからなかった。

「今日、なんだろ? 最後くらいカッコつけさせてくれ。……ええとつまり、君に見せたいんだよ。俺が」
「え? 最後ってなによ。この戦いの後も二人とも生きていくのよ。しっかりしてよ正晴」
「ごまかさなくていい。俺なりに、考えたんだよ」

 街角で足を止めて、静に向き直る。目的のビルはもうすぐそこだ。だから、ここではっきりさせておく必要があった。

「君は嘘をつく時、NDエレメントに頼るね。思えば最初から、そうだった」

 そう正晴が言った瞬間、二人は星屑と見まがうような美しい花火が飛び交う夜空へ投げ出される。それはあまりにも美しくて、もしかしたら屋上から見る花火なんてくすんでしまうかもしれないものだったけれど。

「そうね『最後』と言ってしまえば、それはホントに最後になってしまうかもしれない。でもそんなのワタシ達の考え方次第じゃないかしら。家族や愛おしい人、人それぞれに大切な人はいっぱいいるわ。そして、いつかその人たちとの別れはやってくる。でも、別れたあと、その人たちはワタシ達の心の中からも消えてしまうの?」
「そうだな。君はいつだってまっすぐで、正しい。だからこの夜空はしまっておいてくれないか」

 足元もおぼつかない静かな空間に取り残されても、もう正晴は平然と振る舞っていた。内心足が震えるほど恐ろしくても、今晩静が正晴たちのためにどれだけ傷つくかを思えば、それがなんだろう。

「終わりじゃなくて始まりなんだ。だから俺達は今日の夜空を、喧騒を、花火を、見に行くんだ。そうだろ?」

 なんのために、とは口に出さない。正晴はただ静の手を握って、景色がもとに戻るのをじっと待った。少しすると、二人が見る風景は夜空から入ろうとしていたビルの前へと戻る。
 正晴は視界が戻ったのを確認すると、静の手を引いてビルの裏口のドアを開けた。少し埃じみた通路を抜けて、コンクリートの階段に足をかける。
 外からは祭囃しが聞こえ続けている。カツン、カツンと階段を登る二人の足音だけが反響して、踏みしめるようだった足取りはいつしか軽く、走るように、踊るように変わっていく。

「静。あんまりきれいじゃないかもしれないけれど、これがこの町だ。この世界だ。覚えて、いてほしいんだ。君にすべてを託す。俺一人の力しかないけれど、それはこの町の17年を継いだすべてだ。負けても、誰も怒らない。だから」

 屋上のドアを開け放つ。雲一つない夜空には月がのぼり、打ち上がった花火の残滓が見える。火薬の匂い、そして音がそれに遅れてやってくる。

「楽しんで、ほしい」

 古ぼけたビルから見上げる初めての花火が静の目に映り込む。静の生まれた時代にはない綺麗な自然、しかしそれだけではなく、この時代を生きる人々たちの活気、想いが正晴の言葉を通して伝わった。そのことが繋いだ手から正晴にもわかる。

「ワタシが生まれた時代の人たちは、優しい人ばかりだったわ。でも日々の戦いに疲れ果てて余裕のない中で心を病んでしまった人が多いのもまた事実だった。ここの人たちはみんな『生きている』って思わせてくれる。人ってホントはこんな事を日々考えている、思っている。多様性のある人々」

 静の声は花火の大音量の下でも正晴の耳にはっきり届いた。最初からそうだ。彼女のその声に、言葉に、正晴はやられてしまっていたのだろう。

「ワタシは『人のキレイな心』を見たいと思っていた。でもそれは間違っていたかもね。NDエレメントで出せる綺麗な景色や造り物の心では代替できない、ここには真実ホントの心を持った人たちがいる、生きている」

 彼女の手が正晴から離れる。切り離された喪失感で、行かないでほしいと手を伸ばそうとして、正晴はそれを押し留めた。

「正晴、この数ヶ月、あなたと過ごしてそれがよくわかったわ。ワタシが護るべき物。未来へ繋げるべき物」
「君の感じたものだけが全てだ。俺の想いはもしかしたらちょっとぶつかるかもしれないけど、持っていってくれ――もう、時間なんだな」
「そう、時間よ。さあ、行きましょう。世界を切り開く戦いへ!」

 

3-2 Run,Run,Run