4-2 明日の明かり

 開戦直後、真っ先に動いたのは光里だった。

「結女の未来を! あたしたちのイマを! あんたたちなんかに、邪魔させてたまるもんか!!」

 機先を制すように飛び出し、ゲートの重力場をも利用して急加速する。意図を察した静と蛍がNDエレメントで力場を形成。それをさらに蹴りつけ、半弧を描くようにして、光里はドラグアロンの一機に向かって飛翔する。

 光里の右手が変化した大型剣が陽光を浴びたかのように輝く。

「切り開いて、夕陽の剣! 『陽射しのように斬りつけてサンライト・ブレード』!」

 危機を察したドラグアロンが回避を試みようとする間もなく、亜光速の剣はその翼を一刀のもとに断ち割った。
 返す刀でさらに三度の斬撃を光里は繰り出す。最初の一撃ほどの威力はないものの、それは機動力の大半を失ったドラグアロンにとっては十分な痛打となった。

「光里! どきなさい!」

 声の直後、光里はドラグアロンの身体を駆け上がるようにして背後に抜ける。この好機を逃す訳にはいかないと静がライフルのトリガーを引く。
 フルオートで発射された徹甲弾の嵐がドラグアロンを襲う。身を捩るようにして一部を避けるものの、静の目はその隙をも逃さない。吸い込まれるようにして頭部を弾丸が貫通し、断末魔を上げる間もなくドラグアロンの一騎が爆散した。

「やるじゃん静! 残りも――」
「ふたりとも。もう一体が動く。油断しないで」

 蛍が牽制射で押し留めていた残る一体のドラグアロンが、同胞の死に怒ったかのようにしてまとわりつくミサイルを振り払って動き出す。
 NDエレメントが爪部に収束。翼部が躍動する。三人のもとに巨躯の大質量が襲いかかる。
 三人は互い違いに逃げることによりなんとかその襲撃を回避するも、フォーメーションを乱されてしまう。ドラグアロンの重装甲を貫徹するには力を一点に収束させることが肝要なのだ。だが、ここでライフルのリロードをしながら静が叫んだ。

「正晴、あなたの想いは受け取ったわ。みんな行って、『祭り囃子に乗ってアサルト・マーチ』!」

 静は閃光弾を射出してドラグアロンの視界を一時的に封じると共に、二人のもとにNDエレメントで作り出した加速場を送った。蛍はそれに乗ることで静と合流しながら加速の乗った射撃をドラグアロンにぶつける。

「静、この力場借りるよっ!」

 そして光里は機竜形態へと変化し、ドラグアロンに組み付いた。機竜形態になったドラグブライドは出力、装甲ともに上昇する。足りない速度は静が補ってくれた。いまひとときであればドラグアロンと格闘戦を演じることも可能だ。
 ドラグアロンは咆哮をあげる。純粋な出力では勝る相手をねじ伏せられないことに焦れたのか、その背部からミサイルを幾条も発射する。狙いは遠間から射撃で決めるために集中していた蛍だ。
 蛍は武装の展開を解き回避に集中するが、追尾性能を持ったミサイルは執拗に追い続ける。静も射撃でミサイルの迎撃を狙うが、いかんせん数が多すぎた。

「逃げなさい、蛍!」

 静の悲痛な叫び。ミサイルが爆煙を上げる。風に流された煙が晴れると、しかし蛍は無事だった。光里がドラグアロンを蹴り飛ばし、蛍を庇ったのだ。

「光里。あなたはアイツを抑える役目じゃなかったの。蛍は完璧だから、大丈夫だった」
「にひひ。ごめんごめん、つい、ね」
「……でも、感謝する。ありがとう」

 厚い装甲があるとはいえ、光里の機体も大きく損傷していた。蛍はそれから目をそらさない。今度こそと覚悟を決めた目で全身の兵装を再展開する。
 危機を感じたのか、ドラグアロンから立ち上るNDエレメントの光が高まる。三人は突撃の前兆を見て取った。静は一人離れ釣りだすように射撃を繰り返すが、ドラグアロンはそれに目もくれず、蛍へと向かって加速する。
 だが、今度は蛍も回避をしない。蛍の戦局眼はこの攻撃の直後こそが一番の隙を生むと告げていた。そして今は受け止めてくれる仲間がいる。
 直撃、轟音。そして拮抗。光里の装甲は剥がれ落ちかけているが、ドラグアロン最大の攻撃を確かに受け止めていた。運動エネルギーを発散させたドラグブライドに、エネルギー充填を終えた蛍のキャノン砲が炸裂する。

「今! 走り抜けて! 『夜を駆けるナイト・ランナー』!」

 多大な熱量で溶け落ちたドラグアロンの装甲を的確に撃ち抜くように、蛍は戦術指揮を即座に飛ばす。光里も機人へと戻り、即座に三人による立体機動攻撃が行われる。
 リアルタイムで状況を更新し続ける蛍の眼があってこその技だった。三人が交差するように残弾を打ち尽くしたとき、ドラグアロンの胸部には夜空の見える大穴が開いていた。
 ドラグアロンが爆発四散すると、強い引力を放っていたゲートもまた、ゆっくりと閉じていく。
 ゲートの向こうの空は、白み始めていた。

 

 Next 最終章 夏の終わり

5-1 遺すもの

4-1 ドラグブライド、そしてドラグアロン

第四章 真夏の夜の運命

 

 花火が上がる。駿河市上空で待機していた光里はその光の花を間近で眺めていた。他の二人の姉妹は自分の契約者リンカーとうまくやれただろうか。きっとちぐはぐだったんだろうな、と想像して光里は一人で笑った。
 自分もそうだった。ちぐはぐで、でも愛しくて。別れは身体が二つに裂けてしまうほどに痛切で。
 二人がそんなふうにやることができたならいいな、と光里は思った。それならあたしたちは戦える。この街を守るために。この世界を守るために。
 大切な人を守るために。
 その時、地上から二つの影が上がってきた。二人に向かって光里は声をかけた。

「もー、ふたりとも遅いよ! あと数分もないよ!」
NDA-DB-3412-Iが早すぎるだけ。蛍は遅れたりしない、完璧だから」
「そうよ、まさかリンカーとうまくいかなかったんじゃないでしょうね。そんなので戦えるのかしら」
「そんなわけないじゃん! あたしは余韻を大事にしてたの――それと、あたしの名前は光里。NDA-DB-3412-S、あなたは?」
「静よ。憎まれ口を叩けるなら大丈夫みたいね、お互い」

 光里、静、蛍。三者はめいめいの顔を見ると、頷きあった。そろそろ時間だ。
 直後、紫とオレンジの光が明滅する。それは花火とも月明かりともまったく性質の違う光。開きかけたゲート、重力場の渦の光だ。三人はND粒子を操作し、地上からは観測できないよう、隔絶された空間を作り出した。
 ゲートは駿河市の空を覆うほどに巨大であり、その周囲にはドラグアロンの先遣個体の姿があった。数は二機。
 情報はない。2050年は三人を送り出すために手一杯であり、戦闘記録もない個体の情報収集をすることは難しかった。けれど、わかることがある。それはこの二機さえ倒してしまえば、残ったドラグブライドの力でゲートを閉じることは十分可能だという事実だ。
 機械竜が咆哮する。少女たちはめいめい武器を構えた。最初で最後の戦いの火蓋が、切って落とされた。

 

4-2 明日の明かり

3-3 夕焼け色の魔法使い


「ひかりちゃん~今日もお疲れ様ー!! ひかりちゃんのおかげで注文増えたから毎日忙しくて楽しい! 前田さんのお父さんなんていつも顔が怖いのに可愛い子が配達してくれてうれしーってニコニコしてくれてるし~」
「結女もおつかれさま! いやー今日もよく働いたねえー!」

 光里の漕ぐ自転車は全速力で車道を駆け抜けていく。結女もその速度感にはもうずいぶんと慣れた。自分で漕ぐときにもつい速度を出してしまうくらいには。
 それでも光里の生み出すこの速さには到底敵わなかった。細い腰に回した手につい力がこもる。

「明日も明後日も明々後日も! 仕事はどんどんあるよー!! 頑張ろうね!!」
「そうだね! 結女もだいぶ自転車漕ぐの早くなったし、この分ならもうひとりでやっていけるんじゃないかな!」
「……えー?! あはは、ひかりちゃんも一緒に決まってるじゃない! 何言ってるのよー」

 上り坂にさしかかり、光里は自転車を漕ぐ速度を幾分緩やかになる。光里もだいぶ気を使ってくれるようになったと結女は思う。以前だったらそのまま弾丸のように空へと射出されるのではないかと危惧するところだった。

「結女さ、最初に私がお願いしたこと、まだ覚えてるかな?」
「……覚え、てるけど……でも! それでも! その日が過ぎても結女はひかりちゃんと一緒にいたいもん」
「あたしもおんなじ気持ちだよ。でも、だから、やらなきゃいけないの。今日は8月25日。2030年8月の、運命の日」

 光里の声が震えているのを感じる。表情は見えない。泣いているのではないかと結女は思った。自転車の速度が落ちていく。

「結女、あたし結女といっぱいいろんなもの見たよ。いろんな所行って、配達もして、いっぱい、いっぱい……あたしだって結女と離れたくなんかないよ! でも行かなきゃ! 離れるよりも辛いことが、待ってるんだから……!」

 自転車は上り坂の中腹で完全に止まってしまった。この手を離せばすぐにでも消えてしまうんじゃないかと思って、光里の身体を結女は必死に抱きとめる。

「……結女、ひかりちゃんを守るから! 一緒に帰られるように、頑張るから……だから結女を置いて行かないで、結女また大切な人がいなくなるの嫌なの! 結女、ひかりちゃんが辛いことになるなら一緒に行く! 頑張らなきゃいけないなら一緒に頑張る! だから! 結女わがままだけど! 頑張るから……」

 これがわがままだとは結女自身もわかっていた。それでも言わずにはいられない。涙を堪えると手の力は抜けてしまって、結女は光里のジャージの裾をそっと握るだけになった。

「ありがとう、結女。あたし、結女のその気持ちだけで戦えるよ。ずっといっしょ、だもんね」
「……ひかりちゃん、絶対戻ってきて、約束して……」

 光里はしばらくされるがままにしていて、結女を一度も見ない。けれど次の瞬間、ほんの一瞬だけ結女は光里の強い力を感じた。抱きしめ返されたのだと気づく前に、光里はガバッと光里はガバッと身体を離す。
 光里は笑っている。坂上に登る太陽を逆光にして、結女を安心させるように。

「もちろん! 結女も見たでしょ? あたしは世界を救うヒーロー、そして魔法使いなのです! だから、心配しないで!」

 そして自転車のスタンドを立てると、光里は自分の竜翼を広げて坂道を滑るように飛んでいく。夕暮れの落ちる向こう側で、光里の姿は結女の視界から消えた。

「絶対に、勝ってくるから」

 

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4-1 ドラグブライド、そしてドラグアロン

3-2 Run,Run,Run

「いっけー! マックスブレイカーゼットツー!!」

 豪樹は今日も走っていた。ミニ四駆と共に。けれど、なんだか感覚が違う。違和感に振り向くと、いつもは並走してくるはずの蛍がぼうっと立ち呆けていた。

「……」
「ん、どうした? 蛍、元気ないなー」

 思わず豪樹は愛機を止めて蛍に話しかけた。彼女が共に走ってくれないとこの調整は意味がない。今や計測の殆どを彼女に任せているのだから。

「……時間が、あと少し。あまり話していなかったが、我々が戦う時間がもうすぐくるんだ豪樹」
「え、時間? 大会まではもう少し時間あるぞ? チューニングがんばろーぜ!」
「違うんだ! 違うんだ……」
「な、なんだ、これは!? 頭の中がぐるぐるぐるぐるーーーー」

 以前にも一度見せられていた映像だった。豪樹はそれをレースで負けると起こってしまう災厄だと思っていたが、それは違ったのだろうか。

「本当は、すぐにでも。この危機を伝えるべきだった。蛍は失敗した」
「危機? 大会で負けると世界はこんなんなっちゃうのか!? それは困るぞ!」
「あまりにも、ここへ来てからの日々が楽しかったんだ。もしかしたらこの日、あの時間が来ても、何も起こらずにこのまま同じように日々を過ごせるのではないかと」

 いつもは完璧だと自負し続ける蛍が弱気になる理由を、豪樹は見いだせずにいた。楽しかったなら続ければいいじゃないか。はじめに会った時、レースの楽しさを知らなかった蛍に豪樹はそれを教えた。
 そんな悲痛な顔で走り出すなんて、それはレーサーにあってはならないことだ。

「でも、どうやら違うらしい。駄目なんだ。やっぱり」
「駄目なのか、よくわからないけど駄目なのか!? あの時間ってなんなんだ!?」
「蛍は警告する。もうすぐ破滅がやってくる。危険はすぐそこまで迫っている。」
「んんん? オレはどーすりゃいいんだ!? とにかく勝てばいいのか?」
「……そう、お前が私の手を取り戦ってくれるなら」

 豪樹にはわからないことだらけだった。けれど、わかることだってある。それはレースは勝つために挑むものだということだ。勝てば楽しい。負けると悔しい。
 蛍が勝たなければならないというのだったら、豪樹はすべてを投げ出してその手を取ろうと決めた。それがパートナーというものだからだ。

「わかったぞ! よくわからないけど、わかったぞ! 恥ずかしいけどオレ、オマエの手をとって頑張るから!」
「戦わなければいけないのに平和に過ごすお前を、危険に巻き込むことをあまり考えたくない。蛍は混乱している。」
「豪樹も混乱している! でも蛍、オマエ優しいなっ」
「……蛍は不器用だから。どうしてもこの時間まで上手く言葉が出なかった。」
「キニスンナ、蛍。誰だって言いにくい事はあるさ。で、オレはどーすりゃいいの?」
「――――私と、未来を救って」
「よくわかんねーけど、オレ、蛍のために全力全開でいくぜ!!!」

3-3 夕焼け色の魔法使い

3-1 祭り囃子鳴り止まず

第三章 終末の日のすごしかた

 陽は既に落ちて。祭りの夜は幕を開ける。家々から立ち上る夕食の香りも、今日ばかりは出店の喧騒に取って代わられている。
 正晴は静とともに海へと向かう道程を歩いていた。手が触れ合う距離、けれど触れることはなく、いつものように静に先導されて、夜道を歩く。

「そんなに急がなくてもいいんじゃないか? 花火まであと一時間はあるぞ」
「人の時間は有限なのよ。さあ、あなたのお勧めはどこなのかしら?」

 静はにっこり笑って正晴を上目遣いで見つめる。時間がないことは正晴にもなんとなくわかっていた。だからこそ静はこんなに急ごうとするのだと。
 静はいつも急ぎ足だ。それは生き急いでいると言うよりも、なお悪い連想をさせて正晴の気分は重くなる。

「お前も知ってるだろ、毎年行ってるんだし……いや違った、そうじゃなかったな」

 今でも、ふとしたときに静が本当に幼馴染だったかのように感じることがある。それは彼女によって書き加えられた「設定」であるのに、ついそれに甘えてしまいそうになるのだ。
 実際のところ彼女はこの街についてどれだけのことを知っているのだろう、と思うと不意に申し訳無さに襲われる。彼女は、実際にはそうではなかった十七年をそうであるかのようにして、この街を守るために戦うのだと。

「そうだな、そうだ。よし、案内してやる。実はな、いつもの海岸より少し手前にビルがあって、この時期だけは管理人がこっそり開けておいてくれるんだよ。ほら、そっちだ」

 と、今度は静に入れ替わるようにして正晴が先に立ち、彼女と足取りを合わせるようにその手のひらを取った。静の体温を間近に感じる。今夜ばかりは周囲の視線も気にすることはない。

「ちょ、ちょっと正晴、早いわよ」
「なんだ、自分から握られるのは恥ずかしいのか? 誰も見てないって」

 普段はあれだけ積極的で、NDエレメントを散布してでも引っ張っていく静の一面に、思わず微笑む。周囲には人も多く、みんながそれぞれ自分たちの足取りに必死だというのに。
 横笛と太鼓の音が遠く響く。人波を縫うように二人は一つになって進む。歩みを進めるにつれ、ぽつりぽつりと静は語りだした。

「ホントはね、この町の事はそれなりに調査して着任したわ。でもワタシが知っている事と、あなたが過ごした 十七年間は重さが違う」

 そんなことはないと言ってやりたかった。けれど、本物であることにこだわる彼女にとって知識と体験は大きく違うのだろう。

「だからもしも、あなたがこの街を守ると言っているワタシに何か想うところがあったとしても、それは気にする事じゃない」
「いや、これは俺の問題なんだ。君にこれまで引っ張られっぱなしだった俺の、贖罪なんだよ」

 だから、代わりに正晴は自分の思ったことを口にする。この思いは本物だ。それが静に向き合うことなのだと、正晴はもう知っていた。

「一番高いところに登ろう。それが一番良く見える。花火も、人も」

 彼女は見なければならないと思った。空や海に負けないくらいの人の営為を。まだまだ足りないのかも知れないけれど、一つ一つ説明して回っている時間は始めからなかった。

「今日、なんだろ? 最後くらいカッコつけさせてくれ。……ええとつまり、君に見せたいんだよ。俺が」
「え? 最後ってなによ。この戦いの後も二人とも生きていくのよ。しっかりしてよ正晴」
「ごまかさなくていい。俺なりに、考えたんだよ」

 街角で足を止めて、静に向き直る。目的のビルはもうすぐそこだ。だから、ここではっきりさせておく必要があった。

「君は嘘をつく時、NDエレメントに頼るね。思えば最初から、そうだった」

 そう正晴が言った瞬間、二人は星屑と見まがうような美しい花火が飛び交う夜空へ投げ出される。それはあまりにも美しくて、もしかしたら屋上から見る花火なんてくすんでしまうかもしれないものだったけれど。

「そうね『最後』と言ってしまえば、それはホントに最後になってしまうかもしれない。でもそんなのワタシ達の考え方次第じゃないかしら。家族や愛おしい人、人それぞれに大切な人はいっぱいいるわ。そして、いつかその人たちとの別れはやってくる。でも、別れたあと、その人たちはワタシ達の心の中からも消えてしまうの?」
「そうだな。君はいつだってまっすぐで、正しい。だからこの夜空はしまっておいてくれないか」

 足元もおぼつかない静かな空間に取り残されても、もう正晴は平然と振る舞っていた。内心足が震えるほど恐ろしくても、今晩静が正晴たちのためにどれだけ傷つくかを思えば、それがなんだろう。

「終わりじゃなくて始まりなんだ。だから俺達は今日の夜空を、喧騒を、花火を、見に行くんだ。そうだろ?」

 なんのために、とは口に出さない。正晴はただ静の手を握って、景色がもとに戻るのをじっと待った。少しすると、二人が見る風景は夜空から入ろうとしていたビルの前へと戻る。
 正晴は視界が戻ったのを確認すると、静の手を引いてビルの裏口のドアを開けた。少し埃じみた通路を抜けて、コンクリートの階段に足をかける。
 外からは祭囃しが聞こえ続けている。カツン、カツンと階段を登る二人の足音だけが反響して、踏みしめるようだった足取りはいつしか軽く、走るように、踊るように変わっていく。

「静。あんまりきれいじゃないかもしれないけれど、これがこの町だ。この世界だ。覚えて、いてほしいんだ。君にすべてを託す。俺一人の力しかないけれど、それはこの町の17年を継いだすべてだ。負けても、誰も怒らない。だから」

 屋上のドアを開け放つ。雲一つない夜空には月がのぼり、打ち上がった花火の残滓が見える。火薬の匂い、そして音がそれに遅れてやってくる。

「楽しんで、ほしい」

 古ぼけたビルから見上げる初めての花火が静の目に映り込む。静の生まれた時代にはない綺麗な自然、しかしそれだけではなく、この時代を生きる人々たちの活気、想いが正晴の言葉を通して伝わった。そのことが繋いだ手から正晴にもわかる。

「ワタシが生まれた時代の人たちは、優しい人ばかりだったわ。でも日々の戦いに疲れ果てて余裕のない中で心を病んでしまった人が多いのもまた事実だった。ここの人たちはみんな『生きている』って思わせてくれる。人ってホントはこんな事を日々考えている、思っている。多様性のある人々」

 静の声は花火の大音量の下でも正晴の耳にはっきり届いた。最初からそうだ。彼女のその声に、言葉に、正晴はやられてしまっていたのだろう。

「ワタシは『人のキレイな心』を見たいと思っていた。でもそれは間違っていたかもね。NDエレメントで出せる綺麗な景色や造り物の心では代替できない、ここには真実ホントの心を持った人たちがいる、生きている」

 彼女の手が正晴から離れる。切り離された喪失感で、行かないでほしいと手を伸ばそうとして、正晴はそれを押し留めた。

「正晴、この数ヶ月、あなたと過ごしてそれがよくわかったわ。ワタシが護るべき物。未来へ繋げるべき物」
「君の感じたものだけが全てだ。俺の想いはもしかしたらちょっとぶつかるかもしれないけど、持っていってくれ――もう、時間なんだな」
「そう、時間よ。さあ、行きましょう。世界を切り開く戦いへ!」

 

3-2 Run,Run,Run

2-3 特訓

 一流のレーサーは一流の工房を持つ。蛍が一文字家に来てから、豪樹の部屋は魔改造の果てにプロ顔負けの作業場と化していた。

「豪樹、ミニ四駆の調子はどうだ」
「ほたるこそ、軽量化は進められたか!? 機関銃とか載せると重くなるからやめろよ!」
「任せろ、度重なるレースの経験から都度都度軽量し、空も飛べる仕様になった」
「そ、そら!? いや、たまにそういう必殺技使う奴いるけどよ、あれやるとコースアウト宣言されるからだめだぞ!」
「豪樹がいうのならそうしよう。そうだ、突然だがもうすぐ世界が滅びるんだが」
「せ、せかい? それ、コースが壊れるってことか?困るなあ」
「頭で理解できないなら、みせるべきだ。とマニュアルに書いてあった」

 蛍が指で豪樹を指すと、豪樹の脳には大量の滅びのビジョンが流れ込んだ。それは荒れ果てた都市であり、世界であり、なによりレース場であった。
 蛍はすでに豪樹から世界レースの話を聞いていた。2050年には当然、レースの一切は開催されていない。ドラグブライドとして持つデータベースから引き出された情報の濁流は豪樹をして驚かせるに足るものだった。

「う、うわぁぁぁぁ、なんじゃこりゃー!!!」
「そこで驚くのは想定済みだ。落ち着け、この状況を回避することは可能」
「そ、そうなのか? コースは壊れずにすむのか?」
「そう。お前と私が迫りくる八月の戦いというレースに勝てば。それまでにお前と訓練をしなければならない」
「特訓! オレ、特訓なら大得意だぞ!!」

 胸を張る豪樹。その反応は蛍のデータベースにはないものだ。蛍は脳内の情報に補正をかける。

「お前のその走行、機体に対する熱意。私にはないものだ。私もお前にそれを教わりたい」
「一緒に走るって約束しただろっ、走ろう! 一緒に走ればわかるさっ」
「かわりに私はお前に砲術を、戦術を教えよう。頼むぞ、豪樹」
「おうっ、頼むぜ、ほたる!」

 いい返事だ。蛍はやはりこの少年を選んだ自分の判断が完璧だったと心の内で頷く。ND粒子によりふわりと虚空から紅茶を取り出し、飲み干すと、蛍は立ち上がり歩き出す。

「そうだ、お前には空でのレース経験が足りないな……外に出よう」
「そ、そら? いや、オレ空のレースとかやった事ないんだけど……くそっ、オレたちの旅は涙と道連れだ!」

 二人して一文字家の庭に出る。ミニ四駆用のコースを作り置いてなお余裕のある敷地を確かめるように蛍は何度か土を蹴る。この組成ならば全力でも問題ないだろう。

「手を」と蛍の差し出した手を、豪樹はすぐさまガッチリと握った。
「勇気を!」

 勇気。いい決意だ。握られた手をさらに強く握り返し、蛍は地を蹴る。そして飛び出した無窮の青空を風を切って駆け抜けていく。

「う、うわーーーーーー」
「なんだ、道連れだと空をとぶことを覚悟していたのではないのか」
「空なんて飛べるとは知らなかったんだよ!」
ミニ四駆が空をとぶのと変わらない」
「いや、それはおかしいような気がするけど、なんか燃えてきたぜぇぇぇぇぇ! いっけぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
「身体を慣らそうと思ったんだが……飛ばせばいいんだな。任せろ」

 更に速度を上げる。音の速さすら超えて、真夏の空を駿河市を横切るように飛翔する。

「いっけぇぇっぇ!トリプルマックススォォォォーム! スカイハーーーーイ!!!」

 指示に従い、蛍は高度をあげた。今度は上空に向かって一直線だ。蛍のこころに今までない感情が訪れる。これは……高揚感というものか。

「……豪樹、私はいつまで上に行くべきだろうか? 豪樹?」
「ぐ、ぐるじいぃぃぃ、ぼたるーもういいいいい」

 空気圧には耐えられるようにND粒子は展開していたが、航空に行くに従って粒子自体の濃度が薄くなっていたようだ。蛍自身の身体は何ら問題ないが、豪樹は普通の人間であることを思い出して、
「了解」といきなり全速力での降下に切り替える。計算では10秒もあれば庭に戻れるはずだ。

「ぎゃぁぁぁぁぁぁ! ほたるっ、落ちる落ちる!!!!!」
「安心しろ、蛍は豪樹を落とさない。あ、ミニ四駆が豪樹の服のポケットから落ちそうになっている」
「オレのマックスブレイカーがぁぁぁぁ!!!」
「承知した」

 蛍は自由落下速度に切り替え、マックスブレイカーを両手で拾い上げる。すると必然、

「あれ、オレが落ちてるぅぅぅぅ!!!! ほたるーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
「全く、豪樹は私の許可なく勝手に落ちないでもらいたい」
「オマエが落としたんだろう!!!!!!」
「蛍は完璧だからそんなことしない」

 蛍はそう言って、何事もなかったかのように平然と右手に豪樹、左手にマックスブレイカーに持ち変える。

「今拾った。何の問題もない」
「ほたる、完璧じゃなさすぎぃぃぃぃぃ!!!」
「失礼な。では次は自分で飛べるようになれるように特訓だ。たぶん気合というものがあればなんでもできるらしいので。できるはずだ。豪樹なら」

 蛍に気合というものはない。完璧であるので必要ないのだ。だが、それが役に立つことはデータベースに記載されていた。マックスブレイカーが蛍の砲撃を避けたように。
 豪樹もきっと飛べるだろう、そう感じて蛍は手を離した。

「ちょっと待て。ほたるオマエのレースへの熱意は、あああああああああああああ」
「飛ぶんだーーふぁらうぇーーい」
「やーーめーーーろーーーー!!!」
「あんなに喜んでいる。やはり蛍は完璧」
「とっくんか? これがとっくんなのか!? オレのとっくんが甘かったんだー。ごめんよほたるーーーーーー」
「謝られることはしていないはず……?」

 豪樹が地面に激突する寸前、蛍はその身体を拾い上げる。どうやらまだ訓練が足りないようだ。
 そう思い豪樹の表情を見ると、白目をむいており。蛍は失神とその症状を診断して、家の中に担ぎ戻った。

 

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3-1 祭り囃子鳴り止まず 

2-2 砂状の楼閣


「ねっ、海いきましょ。海。どうせ暇なんでしょ?」
「わかったよ、海ね、海。好きだよな、静も……なんで海にこだわるんだ?」
「2050年の世界ではずっと地下に暮らしていたの。ここに来た時ホントに感動したわ。山も空も、とっても綺麗。その中でも海は一番綺麗だわ」

 夏休みに入るとにわかに街は活気づいたように静には感じられた。学校も興味深かったが、そこから解放された学生たちの熱量が空気に感染しているようだった。
「広い広い水たまり。知識の中でしか知らなかった海。舐めるとしょっぱいのよね。びっくりしたわ」

 結局静はあれから正晴の家で暮らしていた。双子の妹がいたことにするくらいクラス全員の記憶を改ざんすることに比べれば簡単だったし、睦月家の二階を一区画増設することもそうだ。正晴だけはなんだか嫌そうにしていたが、それが本気の拒絶でないことも指輪から伝わってきていた。
 二人は家を出ると、駿河湾に向けて歩き始める。ここのところ毎日のように通っていたが、それでも海の匂いを感じると静の心ははやる。

「俺にはどっちも見慣れたもんだけど、2050年の人から見ればそんなもんなのかね。俺からしてみれば静の使うND粒子とやらのほうがよっぽど驚きもんだよ」
「ND粒子なんてこんなのまがい物よ。確かに本物そっくりの映像、匂い、感触、それどころか記憶すらも再現できるけど、これは本物じゃない」

 「本物」の潮の香りを胸いっぱいに吸い込んで、砂浜に向かって静は足を速める。後ろを見ずとも正晴がついてきているのがわかって、静は小さく微笑んだ。

「最初に会ったときの幼馴染だと認識させる技、あれこそまさに魔法だと思ったけどね……本物も偽物も、そこでは完全に曖昧で」
「でも、あなたは最後に気づいたじゃない。所詮造り物の記憶。でも本物は人の心を揺り動かす。そう、人に造られしドラグブライドの心もね」
「まあ魔法使いさんが本物だと言うんならこの塩水だって本物なんだろう」

 遅れてやってきた正晴は静を追い越すと、と砂浜の土を軽く足で波打ち際に寄せた。波をせき止める土手のように。それでも波は数度の満ち引きの末に、それを押し流していく。

「そうね、この海の雫は心に打ち寄せてくる波のよう」
「詩人だな。造られたってお前は言うけど、そんなの俺だって同じだろ。人間に造られた人間、違いはドラグブライドかどうかだけ。正味な話、俺なんかよりよっぽど本物なんじゃないか、お前」
「そうね、本物と偽物の違い……それを想う人の心がどれだけ重いのかで決められるのかもしれない」
「2050年の唯我論、ってとこかな。この海はお前が想いを寄せているからこそ鮮明にあり、か」

 正晴はなににこだわっているのだろうか。静にはそれがわからない。ぼんやりと伝わってくる感情は、けれど彼が考えていることをすべて教えてくれるわけではない。それがもどかしくもあり、どこか楽しくもあった。
 静は中腰になって砂を手でいじり始めた。砂を触る時、子供は城を作りたがる。それはなぜだろうと考えて、昨晩思いついた結論が自分でも作ってみることだった。

「2050年の世界、わたしが造られた世界。みんないい人だったけど、必死にわたしを造り出し、一縷の望みをたくしてこの次元に送りだした人たち。でも、わたしは決して望んでこの世界に来たわけじゃない」
「じゃあ何を思ってきたんだ? 救うべき世界を見ることは、やっぱり旅の目的なのか?」
「もちろん、望んできたわけじゃないけど、わたしは自分の使命をわかっているつもりよ。『何故来たのか』は愚問よ。わたしは為すべきことがあるからここへ来た」
「為すべきことを為す、はトートロジーだろ、そこには為したいと思った主体があるはずだ……それが静自身に端を発するものじゃないにしても」
「主体、ね。ドラグブライドのわたしにそんな事を言うの」

 口にしてみて、これは違うなと静は自分が感じたことに気づく。正晴の指摘は正しい。静は望むと望まざるとにかかわらず、この時代に送り込まれた。これは目覚めた時からのさだめで、姉妹として生まれ落ちたことの義務だ。
 けれど、この世界に来たことで感じたものは、生まれた気持ちは静のものだった。だから、思ったことを言葉にする。してみる。これもまた、この世界に来て初めて経験したことだ。

「見る事、海を見る旅……『母なる海』っていう言葉があるみたいだけど、全てを包み込む優しさをこの景色に感じているのかもしれない。この世界の空と海と大地と、学校の人々を見ているうちに、わたしの世界になかったこの綺麗な景色を、2050年の未来、いいえ、もっと先の未来へ受け継がせてあげたいと思った」
「そうか。それならよかった。お前がそう思うのなら、きっとそれは正しい。俺は自信がないから、静のようにあるがままを賛美するなんてできないけど」

 静は少し笑った。パートナーの頼りなさにではない。それを口にする率直さをいいと思った自分に対して。
 静の作り出した城とも言えない砂山に、正晴が手を伸ばした。ためらいがちに整形する手つきは静よりも少しうまい。

「それでも為したい、という気持ちは理解できる」
「わたしは必ずこの世界を未来へ繋げるわ。 ねぇ、アナタは今の世界が当たり前だと思っているかもしれないけど、失った時はもう遅いのよ」
「静は強いな。やっぱり、このお話の主体はお前だ。俺は端役でただの契約者だ――コントラクターというより、コンダクターみたいなものなのかもしれないけどな」

 正晴は手を止めた。まだ不格好なただの砂山なのに、もう満足してしまったようだった。

「俺は失うのが怖い。それは世界じゃなくても同じだ。自分の手から滑り落ちてしまったものに価値があると知ってしまったら、死ぬほど後悔するだろう」
「アナタは何も失わない。アナタは端役なんかじゃない。アナタの想いの強さが鍵となるのよ。そしてわたしは、アナタの心に賭けた。これは絶対に外さない賭け。外せない賭け」
「だからさ、俺は静に協力してる。お前が見つけ、お前が為すんだ。俺はそのための手段を提供できる。一緒に世界を見て回ることができる。けれど、舞台の上には上がれないんだ。上がるのが、怖いんだ」

 静の目の前で、正晴は砂山を蹴り崩した。半ばから割られたそれは、放っておけばすぐにでも海へと還ってしまいそうだ。

「俺の思いが静の力になるというのなら、俺は君のことを精一杯想おう。世界の存続を希おう。恐怖心からくるこの気持ちは、偽物だと思うか?」
「誰しも失うのは怖いわ。でも舞台に上がるのはアナタだけじゃない。わたしもいる。わたしも一緒に舞台へあがるのよ」

 海にさらわれてしまう前に、静はND粒子を解き放った。正晴に蹴り崩されたはずの砂が山になり、そして静の脳内に思い描いたとおりに城になる。
 正晴を真正面から見据えた。そしてこのあつい気持ちが消えてしまう前に、と口に出した。

「一緒に戦って。正晴!」

 正晴はおもむろにポケットから硬化を一枚取り出した。それをあたかも旗のように、砂の城のてっぺんに立てる。

「俺の負けだ、共に戦おう。静の手を取ったときにその覚悟はもう決めてたさ。矢面に立てたかったわけじゃない、ただ……」
「ただ?」

 と、そこまで言った正晴は口をつぐむ。静は城の出来栄えを見た。いい。これなら空にも街にも海にも負けないだろう。
 しばらく待って、正晴が口をつぐんだのを察し「ええ、ありがとう正晴。優しいのね」と静はつぶやく。

「勘違いしないでくれ、俺は静たちに救われるほど高尚なもんじゃないってだけだ。自分で生き延びる分くらい、自分で働かないとな」

「照れないでもいいのよ」静は声に出して笑う。賭けが確信に変わった瞬間だった。

 

2-3 特訓